このあたりまでが、今考えると「若いとき」と言える最後の頃でしょうか。
今年、この子供は21歳になります。あいかわらず金はありません。
冬のおもひで

 「おもひで」というほどのエピソードではありませんが、昨日12月4日の
長男の11歳の誕生日でおもいだしました。まさに11年前、妻はまるで西瓜
のようなおなかをしておりました。予定日は11月20でした。
 話は唐突に変わりますが、その前年、このマンションに越してきたとき「足」
として47年型サニー1300GLを買いました。8年前の型で、走行8万K
m、価格が8万円(カブより安い!)という、東八郎(8マンの本名)にあげ
たいくらいの車でした。
 さらに話は変わりますが、私は20歳の時に父を亡くしまして、奨学制度で
大学を卒業したもので、このころは毎年年末に30万円を大学に返済しており
ました。この年の暮も、返済したら3万円しか残らなくて、どうやって年を越
そうかと思っておりました。
 話を戻します。予定日を一週間過ぎてもいっこう生まれる気配はありません。
「なかで腐ってるんじゃないの?」などといいながら、彼女は、このサニーを
自分で運転してはあっちこっちにでかけておりました。

 その2−3日前から、どうもエンジンのかかりが悪いなあとは思っていたの
ですが、なんとか使えていたので、その日曜日、私が運転して、サニーで銀座
にでかけました。何の為にでかけたのか、今となってはよく覚えていないので
すが、すでに言ったように金はありませんでしたから、ただのウインドウショ
ッピングだったのでしょう。地球座(知ってる人は知ってる)の裏に駐車して
銀座三越をひとしきり冷やかして帰ってきたら、折からの冷え込みでバッテリー
が完全に死んでしまいました。JAFなど入っていませんし、第一金がありま
せん。助手席には予定日を一週間過ぎた西瓜腹、すっかり途方に暮れました。
こういう時にはおまわりさんしかありません。すぐそばに築地警察の派出所が
あって、行ってみましたが、全く無人です。しかたなく車に帰ってきました。
だんだん日が暮れてきます。むろん暖房もききません。「今、産気づいたらど
うすりゃいいんだろう」と内心真剣に心配しました。当人はすっかりおまかせ
の態度です(あのころは、まだ私もそれなりに信頼されてたんだなあ)。

 あたりがすっかり暗くなったころ、パトカーが派出所に帰ってきました。す
ぐに行って「実は車のバッテリーが・・・」と言ったのですが、返事はしたも
のの、いっこう来てくれる様子がありません。しかたなくもう一回行って、こ
んどは「実は臨月の・・・」と、事情を説明しますと、驚いて、さすがにすぐ
に来てくれました。実はパーキングメーターに料金を入れてなかったのですが
(なんせ金がなかったのよ・・・?)パトカーが来たときに、すっかりそれも
ばれてしまいました。「臨月を過ぎて出歩いてはいけません。」だの「バッテ
リーはたまには交換してください。」だの「メーターにはあとでお金をいれて
おいてください。」だのに、ひたすら平身低頭、「も、もーしわけありません。」
とあやまるばかりでした。ブースターケーブルでエンジンを始動させてみると、
どうもスモールランプがつきっぱなしになっていたようでした。ひたすらあや
まりたおして帰ってきましたが、その後も全く生まれる様子がありません。な
んと、この一件の翌週の日曜日にはこんどは池袋西武にでかけてしまいました
(なんつう懲りない性格!)。すでに予定日を13日過ぎています。友人も心
配してくれます。私は「ほら、羊水ってあるでしょ?あまり遅れると、あれが
胃の上の方までくるんだってさ。」「へーっ、胃の?」「そうそう、いのうえ
ようすい、ってね。」などと笑っていました(なんつう無責任!)。ま、とに
かく池袋西武の広いフロアをさんざん歩き回って疲れ果てて帰ってきました。
その夜ぐっすり眠っていると、揺り起こされました。ついに陣痛が始まったの
でした。

 東京歯科大学市川病院の産科は最近「試験管ベビー」(なんといういやらし
いネーミング!)とやらでけっこう有名です。私はここだと割引があるので
(もちろん本当は大野教授を尊敬していたからよ・・・?)、最初からここに
決めていました。定期検診の時は最初に書いたように、彼女が自分で運転して
通っていましたが、こればかりはそういうわけにはいきません。12月4日深
夜3時半、非常に寒い朝でした。「じゃちょっと待ってな。車を暖めてくるか
ら(やさしい!)」と言って、下に降りてエンジンをかけようとするとこの冷
え込みで、またも死んでいます。しかたなく車を自力で押し出して、なんとか
清澄通りのあたりまで押して行きました(まだ若かった)。しばらくして通っ
たタクシーを止めて事情を説明すると「そりゃ大変だ」ってことで、すぐにバ
ッテリーをつないでくれました(渡る世間に鬼はなし、ってこんな時に感じま
すよね)。それで、やっと暖め、できるだけ静かに市川まで運んで、やっと病
院におくりこんだのが、すでに5時でした。
 江戸川区の義母(こんど私が住む所です)の所に寄って市川に行ってもらう
ことにして、やっとここに帰りつけば、はや9時、出勤の時間です(ご存じ麹
町)。その朝11時すぎに病院の義母より出産の知らせを受けました。それか
ら5日経った土曜日、私は当時菓子作りに凝っていたもので、手作りシューク
リームを同室の皆さんに配って笑われたものでした。バッテリーは、12月4
日を最後に二度と生き返りませんでした。ということは・・・おいおい、あい
つはバッテリーの生まれ替わりかい?!

後日譚

 その年の暮れから正月は、妻の実家で、いろいろめんどうをみてもらいまし
て、大いに経済的にも助かりました。出産費用は健保組合からの給付金が市川
病院の支払いより多かったので、5万円ばかりもうかってしまいました。
 年が明けて、ついにサニーに見切りをつけて、スカイライン2000GT
(ケンメリ51年型)に買い替えました。これは5年前の型で40万円でした。
排ガス規制で全くパワーが無い車でした。その2ヶ月後、今度は母を亡くしま
した。広島の歯科医院の跡継ぎとして育てられた私が、これで東京に永住する
決意を固めることになりました。
 この年の夏休みにケンメリで広島に往復したらウオーターポンプが故障して、
さらにその年の暮にラジエーターに穴があいてしまいました。しかたなく、次
の年の1月、現在のスカイライン2000GTEXターボエクストラハッチバ
ック(長い!)に買い替えたのでした。56年後期型で200万円でした。さ
らに次の年、私は麹町での勤務医をやめ、人形町で開業することになるわけで
す。
 あれから10年経って、車は今や屋根に穴があき、生後3ヶ月で私の母の葬
儀に参列し、よちよち歩きで車の展示場に行った子供も5年生、私は車に対す
る興味をなくしてしまいました。考えてみると、あの前後3年が、私にとって
嵐の季節だったようです
 奨学金の返済はとっくに終わりましたが、あいかわらず、金はありません。