雑踏の誘惑 啓徳無情篇

一日

今回の訪港に先だって香港天文台の四天天氣預報(これから4日間の予報)を
見たところ、5月23日は「雲多く、時々にわか雨」、24日は「雨が降り続き、
時折大雨暴風雷あり」、25日は「雲多く、雨がぱらつく」とのことでした。要
するに雨の降らない日はないのです。まあ元々高温多湿でしょっちゅう雨の降
る場所ですからしかたありません。

さて、今回の旅行の第一目的は、1998年7月5日をもって廃港となる香港啓徳
機場を記憶にとどめることと、世界でも類を見ない「香港カーブ」を堪能する
ことにあります。今回の相棒である廣澤さんは以前からかなり強烈な飛行機マ
ニアでしたが、今回はそのために200mmレンズと一眼レフカメラを用意して、
すでに成田空港からパチパチ始まっています。キャセイパシフィックCX509便
は、ほぼ定刻に離陸して、定刻の30分前に啓徳機場に着陸しました。着陸の少
し前に、ほとんど完成している赤鯔角:チェクラプコクの新空港もよく見えま
した。そしてライオン岩と山肌のマーカーが見えたかと思うと、機体を右に傾
けて、ほとんど失速状態になりつつ大きく右に曲がります。席はちゃんとこの
ために取った30K、30J(右主翼の前の所)ですから、まっすぐ目の下に、雑居
ビルの屋上で洗濯物を干しているおばさんまではっきり見えます。機体をやや
右に傾けたまま九龍の街につっこみながら着陸します。うーむ、これが香港カー
ブか。たしかにこれはマニアにはたまらん味でしょうね。

さて、入国手続きをすませたら、早速第一の撮影ポイントである「カーパーク
屋上」に荷物をカートに乗せたままで急ぎます。ここは要するに飛行場の立体
駐車場で、地図で見ると滑走路の右上の場所に位置しています。すなわち、遠
くにまめつぶのように見える段階からカーブして着陸するまでのいっさいが目
の前で行われるのです。屋上に出てみると、空気がものすごい湿度を含んでい
ます。いわゆる「むっとする暑さ」というやつで、しかも空気に特有の香料の
においが混じっています。ああ香港に来たんだなあ、と心の底から喜びがわき
上がってきます。また、どこの世界にもマニアはいるもので、この屋上にもす
でに長いレンズをつけたカメラやビデオを持った「スポッター」(こう言うそ
うですが)が何人もいます。ほぼ5分おきに飛来する旅客機が、手を伸ばせば
届くほどの距離でカーブを曲がって着陸します。はやくも相棒は全開状態で我
を忘れてシャッターをきりつづけています。うーむ、たしかに、これもマニア
にはたまらんでしょうね。

天気は全く予報のとおりで、ときおり雨もぱらついています。しかし、時折は
晴れ間ものぞいたりして、予報が正確だとしたら明日は一日雨ですから、本格
的に撮影するのなら今日しかないことはあきらかです。では、とりあえずホテ
ルに入って対策を練りましょう。早速タクシーで尖沙咀のニューワールドホテ
ルに向かい、チェックインしました。時刻はまだ2時すぎです。すでに着てき
た物はじっとりと汗を含んでいます。ここで香港人風の派手なTシャツとよれ
よれのジーンズにはきかえます。まあ顔はしかたないですが、これで以後全く
街に違和感がなくなりました。実際、この後何度もいろいろな勧誘を受けまし
た。要するに「カードに入りましょう」とか「携帯電話が安いよ」とかいうや
つで、声をかける側も、日本人であることは一目瞭然ながら、ひょっとしたら
住んでいる人間かもしれないとは思ってるわけでしょうから、まず格好に関し
ては没問題(モウマンタイ)というものです。

体がベタベタするのでさっとシャワーを浴びて再度出撃します。今度は滑走路
の始まる地点あたりにある九龍城公園が目的地です。ここはあの巨大な魔窟と
その廃墟があった場所で、いまはなんということもないこぎれいな公園に作り
直されています。九龍城の土台の骨組みをごく一部残して展示してありますが、
これだけでも相当な迫力です。相変わらず飛行機がひっきりなしに爆音をとど
ろかせてすぐ脇を降りていきます。だんだん観察地点を移動していくと隣の九
龍仔公園、さらにはこの南端にある九龍城廣場というビルの屋上にたどりつき
ました。ここはまるで飛行機を撮影するためにあるようなビルです。おなじみ
スポッターも何人かいます。

やがて夕暮れが迫ってきたので、今度は飛行場のフェンスに向かって移動しま
す。九龍城付近のごみごみした町中を抜けていくと、屋上に誘導灯を設置した
ビルを発見しました。要するにこの真上を通って着陸するわけで、滑走路の始
まる地点まで200mくらいにまで近づいていますから、頭上を通過する飛行機の
高度は、いいとこ50mくらいのものかと思います。これには「スッゲーーー!!!」
と何度も叫んでしまいました。これはマニアにはたまらんでしょうなあ。これ
はマニアでない私もちょっと感動してしまいました。さて、次第に暗くなって
きたので飛行場のフェンスまで歩き、次第に鮮やかさを増す滑走路の誘導灯と
翼端燈、この赤や緑の光の列がジェット気流でにじんで揺れる様子には、マニ
アでなくとも心惹かれるものがあります。この位置からだと離陸のときなどに
はあたり一面に燃料の臭いがたちこめるのもなかなか渋いものがあります。

次第にあたりも暗くなってきたので、帰ることにしてフェンスに沿ってずっと
外周を歩きつつ街の方に近づいて行きます。狭いとはいえそこは国際空港です
から、なかなか簡単には離れられません。また、空港のそばではタクシーを拾っ
てはいけないようで、やっとタクシーを拾ったのは、本日のスタート地点から
約3km離れた九龍城碼頭(フェリー乗り場)でした。初日からこれだけ飛ばし
ては後が思いやられます。しかし、今日全部こなしておかなければ明日は暴風
雨になるはずなのです。少なくとも私はこれで啓徳機場については充分堪能し
ました。というわけでタクシーで再度ホテルに戻りました。

これで今回のツアーの目的はまずおおむね終了したと言っていいかもしれませ
ん。しかし、私の目的はできるだけ多くのコピー商品の調査(?)をすること
ですから、ここで終わるわけにはいきません。雨がだんだん激しく降ってきま
したが、夕食をとりがてら、まずは廟街から攻めることにしました。しかし、
その前に相棒がまずなにか食べたいというので、廟街に交差する道の粥麺専家
や臘飯店(叉焼や鴨肉などを飯に乗せて食べる、無理して言えば牛丼店的存在
か?)を見たのですが、どこも客がほとんど入っていないのは、まだ時間帯が
早いのか不味いのか今ひとつわからないのです。この相棒は旅行慣れしてはい
るのですが、いつもマクドナルドで食べていたという、私とは全く逆のタイプ
の人間なので、いきなり屋台や粥麺もまずいかと思って、ここはほんの少しク
ラスをあげて餐廰にしました。これはレストランと言う意味ですが、高級なや
つは普通は酒楼と言います。餐廰は、またしても無理矢理言えば、町の定食屋
とか東京のそこらへんの「中華料理店」要するにカツ丼やカレーも出すあの手
の店、あれが一番近いですね。

今回はちゃんとメモを取ってきました。MTR佐敦站のそばの寧波街あたりの
「成發茶餐廰」の「是日晩餐」(本日のディナー)は
牛油方飽(バター食パン)、新地忌据湯(薄いポタージュみたいな?)、韮茸
鶏抓(タンドリーチキンみたいな??)、粟米石斑飯(魚の唐揚げコーンシチ
ューかけご飯・・・どんなんじゃ?)、珈琲というメニューで40HK$(700円く
らい)ですから、まあどのていどの「レストラン」かがわかろうというもので
す。しかし、そこは香港、この程度の店でも味は抜群です。パンパンに満腹し
て、雨が降る中を廟街に出撃しました。

まだ時間が早いせいもあり、天気が悪いせいもあって夜店の出は半分くらいと
いうところでしょうか。台北の士林夜市のイメージがまだ残っているせいもあっ
て、佐敦道から天后古廟までの道が思ったより短く感じます。今地図で見ると
だいたい400mくらいですから、明治座から日比谷線人形町駅の間の甘酒横丁と
ほぼ同じ長さということになります。ただし廟街の場合は天后古廟の北側にも
もう200mくらい怪しい雰囲気の夜店が続いています。こちらは前回女性連れで
はちょっと心配だったので見ませんでしたが、今回は安心して大道芸なども見
ました。ただし、雨が激しくなってきたので適当に流しましたが。

今回の旅行では、日本の流行歌の総集編的CDを何枚か「見る」こと、安くて小
さい宜興紫砂の急須を買うこと、偽物のローレックスの腕時計を買う(あえて
こう言いますが)こと、それにコピーソフト業界の「視察」というのが主な目
的でした。ここでこのローレックスについて一言弁解しておきますが、これは
私が身につけるために買ったのではありません。これは最近急にブランド物の
名を口にするようになった子供に「自分にとって価値のある物はなんなのか」
を考えさせるために買ってきたのです。

高校生の子供が「ローレックスの腕時計が欲しい」というようなことを言うの
を聞いて、私はなぜ欲しいのかと聞いてみたのです。答えは機能が優れている
とかデザインがいいとかいうものでしたが、それらのことについて深い知識が
ないのは明らかです。結局、彼らは価格を見て言っているのです。すべてのブ
ランド信仰も全く同じ性質を持っていると思いますが、30万円の値札を腕につ
けること、このことだけが彼らにとって重要だということなのです。仮にここ
に2千円で買った偽物のローレックスがあったとします。見た目は全く同じで
す。彼はそれでもそれを「いい時計だ」と言い続けるのでしょうか。ここが知
りたかったのです。また、仮にそれが30万円の本物だとしても、高校生の腕で
は偽物になるし、それが2千円の偽物でも私の腕にあれば本物になるのだ、と
いう、このことについても考えて欲しかったのです。

雨がだんだん激しくなるなかで、これらの物をさがして回ったのですが、最近
は警察が巡回しているせいもあって、まず、ひと目でコピー品とわかるものは
売らなくなりました。また、店などでも「正式版」ということを必ず表示する
ようになって、こういうところが返還によって微妙にカラーが変わってきたと
ころです。しかし、返還前からコピー品は中国で作っているという噂でしたし、
プラグマティズム(実利主義)のみを信仰する中国人がそんなに簡単に宗旨変
えをするとも思えません。従って、捜せばかならずどこかにあるという確信は
持っています。

滝のような雨に変わってきたので、私は急須を60HK$(1000円くらい)で買い、
相棒は同僚へのおみやげ用の軽いエロ本を数冊買いました。モデルはほとんど
タイかフィリピンあたりの人のように見えます。思ったのですが、こういう物
のモデルの顔が皆きついですね。やはり、こういうものには女性の優しい感じ
が必要だと思いますが、この点では日本の物が一番です。そう思ってみると、
日本のAVは露出度は全くたいしたことがないにもかかわらず、香港では人気商
品なのです。また、日本はやっとヘア解禁になっていますが、香港は去年あた
りからもう少し奥まで大目に見るようになったようです。ただし、絡みは絶対
厳禁のようで、ここら辺の考え方というのも文化を微妙に反映していて面白い
ところです。

これ以上濡れてしまうと明日以降の行動に差し支えるので、初日はこのあたり
でおとなしく帰ることにしました。MTRで尖沙咀まで帰り、セブンイレブン
で飲料水やビールなどを仕入れて帰り、この日記の書き出し部分を書いたあと、
睡眠不足もあって死ぬように寝ました。

二日


7時半くらいに起床しました。窓の外を見て香港天文台(香港では気象庁とい
うのはないのね)の優秀さがいやというほどわかりました。「間中有雨、雨勢
有時頗大及有幾陣狂風雷暴」のうち「雨勢有時頗大」が完全に当たっています。
これではちょっとその辺まで行くだけでもびしょぬれになることは確実です。

とりあえず「そこらへん」で朝食を摂る予定ですが、この雨ではしかたありま
せん。ホテルに続いている新世界中心地下の「翠景粥麺」に行きました。以前
よりこぎれいな店になったようですが・・・はて?客がほとんど入っていませ
ん。入ってみると、壁には日本の雑誌の切り抜きが貼ってあって、下敷き紙兼
メニューも完全な日本語です。香港の日本語メニューには日本語にどこかしら
変なところがあるものですが、ここのは完璧すぎるのです。用紙や印刷の品位
といい、たぶん日本に発注したに違いないと思います。

で、なにを食べようかと・・・メニューをしみじみ見て・・・目が点になりま
した。なんと、以前に比べて値段が3倍以上になっていたのです。以前は粥や
麺は15HK$くらいが標準でしたが今回は最低でも35HK$、ものによっては70HK$
です。600円から1200円というのはいくらなんでも高いでしょう。よくこうい
うパターンで駄目になる店が多いという話は聞きますが、いくらなんでも3倍
はやりすぎでしょうに、ここらへんが香港人というものなのでしょうか。私も
仮にまた香港に行くことになっても、ここには二度と行きません。

二人で「クソー!ボりやがって!」と怒りながらホテルの部屋に帰ってきまし
た。しかし、考えてみれば朝食に1000円弱の金を取られたというだけのことな
のです。仮に、ホテルで朝食を摂ったとすると、2000円程度取られるのはそん
なに珍しい話ではないのにこれだけ腹が立つのはなぜなのでしょうか?さらに
言えば、魚丸と鶏肉の粥の味やボリュームは全く申し分ないものでしたが・・・
しかし、それにつけても腹が立つ!

いつまでも怒っていてもしかたありません。窓の外を見ると、いくらか小降り
になったようなので、出かけることにしました。今日は、相棒とは食事以外は
別行動ということにしていましたので、それぞれ単独行動になります。私にとっ
ては今日がメインとなりますので、小雨をものともせず、歩いてMTR尖沙咀
站に向かいます。今回MTRについて、少し変わった点があるので、それにつ
いて書いておきます。

従来MTRの乗車カードの自動販売機はおつりのでない方式でしたが、今回は
全部の駅でこの機械の入れ替えがあり、硬貨に関してはちゃんとおつりが出る
ようになりました。12インチくらいのタッチパネル上に路線図が書いてあって、
行きたい駅を押すと料金が表示され、硬貨を入れるとカードとおつりが出る、
という大変わかりやすい方式になりました。また、紙幣も使うことができるよ
うになりましたが、ここで使えるのは20HK$紙幣のみで、高額紙幣は窓口で両
替をしてくれます。尖沙咀−佐敦は4HK$、深水渉(※注)までは6HK$です。

また、従来非常に便利に使えていた25HK$の旅行者用カードは30HK$に値上げに
なり、しかも2回しか使えなくなりました。すなわち、片道15HK$以上の遠い
場所に往復するという使い方しかできなくなったわけで、これは大変な改悪だ
と思います。香港当局が観光を真剣に考えているのならば、もう少し違うやり
かたがあるのではないかと思います。

※注:サムソイポ、ポは[士歩]です。この[ ]で日本語にない中国漢字のへん
とつくりを表すのがNIFTYなどでは慣例です。従って、深水[士歩]と書きます。


さて、その深水[士歩]に着きました。雨は降っていますが高登商場は出口のす
ぐそばなので問題ありません。では、まずこの黄金電脳中心から・・・と思っ
たら、全部の店が閉めているではないですか。2階に至っては工事中でかなり
強烈な溶剤の臭いが立ちこめています。あれー?地下も全部見ましたが、あけ
ているのは2・3軒で、しかもろくなものがありません。客もほとんどいなく
て警備員(今回は警備員がどこでも大変目につきました)に不審な目で見られ
てしまいました。

しかたなく3ブロック先の新黄金電脳中心も見ましたが、こちらも同様です。
次第にわかったのは、これらの店は早くても12時にならないと店を開かないと
いうことです。昼食を一緒に摂るために相棒と1時にホテルで待ち合わせした
のですが、この様子ではここでは何もできません。しかたなくMTRで旺角に
向かいました。旺角の電脳中心は駅から少し歩きます。女人街(通菜街)の一
本東の花園街とネルソンストリートの交差点付近にあります。

こちらはいくらか時間が経ったせいもあって3分の1くらいの店が開いていま
す。時刻は12時半くらいですが、あちこちで店を開けている真っ最中です。今
後のために書いておきますが、電脳中心に行かれる方は最低午後2時以降に行
くようにしてください。さて、どんなものかと開いている店を見ていくと、廟
街でも同様だったのですが、正式版のみ売っているという表示の店が大変多く
なりました。しかし、まだ旺角のほうは野放し状態と言ってもそれほどまちが
いではないレベルでコピーソフトを売っています。

ただし、それでもMicrosoftなどの大手の製品をもろにコピーすることにはい
くらか抵抗があるようで、正式版のパッケージ写真だけが壁にずらっとぶらさ
げてあります。つまり、言い分としては「この写真で示してくれれば本物を売
ります」ということで、店によっては正式の値段が示してあるところもありま
す。で、仮にFS98の写真を取って店番のにいちゃんに渡したとしましょう。す
るとにいちゃんは簡単な伝票を書いて客から40HK$程度を受け取ります。そし
て、客に自分の後についてくるように言って店を閉めて鍵をかけてしまいます。
どこに行くのかと思うとちょっと離れた場所で、閉まっている店の鍵を開けま
す。そして、ここで製品を取り出して客に渡し、その場で客と別れます。うー
む、なるほど。

コピーソフト販売のシステムを観察(?)したところで、約束の時間が近づい
てきましたので、表にでました。なんと、外は滝のような雨です。とてもこれ
では旺角の駅まで行けそうもありません。花園街の「許留山」(香港中に支店
を持つデザート店)の前で雨宿りをしながら、ちょうどいいタクシーが来るの
を待っていると、後ろから「Excuse me」との声がします。見るとまだ若い外
人(というのも変だね、たぶんアングロサクソン)が私に何か聞いている様子
です。「Could you tell me the way to the MTR station ?」とかなんとか聞
いています。おお!それならワシにまかせとけ、なんと言ってもワシはここに
地図を持っている、てなもんです。地図をみせながら丁寧に教えてやりました。
考えてみると私に聞くということは、少なくとも彼の目から見ると私が「ジモ
ティー」(説明するのもヤボながら、地元民の意)に見えたということではあ
りませんか。まあアジア人は皆同じに見えるのかもしれませんが、大いに気を
よくしたのです。

タクシーでホテルに帰り着けば、相棒はまだ帰っていません。後で聞いたので
すが、彼はこの雨の中、フェリーターミナルから飛行機を撮影していたとか、
しかし今日は風が陸風らしく、着陸は香港カーブもないし、離陸は山に向かっ
て急上昇するのでほとんど写真にならなかったそうです。しばらくして彼が帰っ
てきました。「いやいや、表はすごいことになってますよ!暴風雨に雷まで鳴っ
てきました!」うーむ、香港天文台恐るべし。「有幾陣狂風雷暴」まで的中さ
せるとは。ちなみに、この翌日の天気も完全に的中していました。3日とも別々
の表現で、湿度や温度まで完全に的中するのにはちょっと驚きました。まあス
ポット予報のようなものですから正確なのでしょうが、ほぼ同じ広さの東京2
3区の中だけに限ってもここまで正確な予報はできないような気もします。日
本人としては気象庁の方が能力が上だとは思いたいですが。

さて、今回はとにかく貧乏旅行という方針でのぞんだのですが、香港にきて飲
茶をせずに帰るのも残念なので、この日は尖沙咀の翠園酒楼で飲茶をすること
にしました。外はほぼ台風のピークなみの雨ですが、待っていても収まりそう
もありません。しかたなくフロントで傘を借りて直線距離で200mくらいの翠園
めざしてでかけましたが、道の向こうまでいかないうちにズボンの下半分は完
全にびちゃびちゃになってしまいました。よたよたしながら翠園に着いたらほ
とんど濡れてないところがないほどになっていました。

ここは人気の店なので、天気に関係なく満員です。なんとか座れた3階の席で、
びしょぬれのまま、ワゴンの蒸籠を片っ端からチェックして食べ始めました。
ここでの我々の反応は、まるで猿岩石やドロンズが5日ぶりに食事にありつい
たようでした。一口食べては顔を見合わせて「ウッメー!!」スープをすすっ
ては「ウッメー!!」、実際、本当においしいものを食べた時には一種の感動
がありますね。蒸籠を6つか7つと青菜をスープで煮たやつで合計316.8HK$
(5500円くらい)、朝の粥と違ってこれにはまったく腹がたたないのはなぜで
しょう。

雨の中をまたホテルに帰ってきました。尖沙咀の重慶大厦(ゲストハウス:安
宿の集まっている有名なチョンキンマンション)の周辺には化粧品の安売りの
店が何軒もありますが、ホテルへ帰る途中にこれらを一通り回って香水のミニ
チュア瓶を3個ばかりおみやげ用に買いました。全部で120HK$(2000円)程度
でした。この量ならまちがっても税関にひっかかることはありません。まあ、
ひっかかるとしたら、問題はむしろ別の方面にあるような気もしますが。

部屋に帰って脱いでみると、ジーンズはいうまでもなく、靴の中までびしゃび
しゃです。濡れることもあろうかと、一応防水処理はしているのですが、ほと
んど役に立っていません。このままでは簡単には乾きそうもないので、ドライ
ヤーを長時間使ってなんとか履ける程度に乾かしました。ジーンズは部屋に干
してはきかえました。ところで、このジーンズですが、翌日クローゼットの中
で完全に乾いていました。湿度が90%を越える香港でもホテルの中は例にもれ
ず異常乾燥しているのですね。あるいは、あの強烈な冷房にはこういう理由が
あるのかもしれません。

さて、食事もしたし服も着替えたので、第二ラウンドです。相棒はもう撮影は
あきらめてそのあたりで買い物をすると言っていますので、再度一人で旺角の
電脳中心に向かいます。雨足が強いので今回もタクシーを利用しました。タク
シー代は尖沙咀−旺角で20HK$(350円)、啓徳機場や深水[士歩]で40HK$(700
円)というところでしょうか。香港のタクシーも基本的に英語が通じないと思っ
ていたほうがいいと思います。広東語での言い方は「去」(ホイ)+「目的地」
です。「〜の」は[口既](ゲ)ですから、「去旺角[口既]電脳中心」(ホイ 
ウオンコッ ゲ ディンノウヂョンサム)ということになります。

今回も付焼刃のおかげで問題なく通じて電脳中心に着きました。3時過ぎの時
間帯ですが、今度はほとんどの店が開いていて、客も大変な数です。店として
一番軒数が多いのはVCD屋です。台湾もそうでしたが、香港でもTV放送には
あまりおもしろい番組がないので、日本やアメリカのようにビデオテープとい
う録画できるメディアには人気がありません。実際、VHSのビデオテープを売っ
ているのを見たのは廟街でたった1ヶ所だけでした。映画やポルノもすべて
VCDです。こちらで特徴的なのは日本のテレビ番組を編集してVCDにしてあるこ
とです。だいたい1枚に1時間の番組が入るわけですが、最近日本でも人気の
あったドラマはほとんどVCD化されています。ドラマだけではなくバラエティ
も人気があって「SMAP×SMAP」とか「とんねるずのみなさん・・」などはどこ
の店でも一番の売り上げがあるようで、多くのバックナンバーが並べられてい
ました。

さて、本題のコピーソフトですが、堂々と現物を売っている店も多くあります。
警察の手入れがあるときには一斉に閉店して商品も全部引き払ってしまうそう
ですから、今回はそういうことはないようです。店によって微妙に商品の構成
も変わっているようですが、見るところ卸元は1〜2ヶ所のようでほとんど同
じ商品が並べられています。また、ちゃんとCDにプレスしてあるものとCD-Rに
焼いた物とがあります。

非常に多くのソフトが並んでいるのですが、その半分は中国語版です。それ以
外で衝撃的だったのは「Windows98 日文正式版」というやつです。後々の為
に書いておきますが、この日は1998年5月24日です。Windows98は英語版が7
月25日、日本語版がそれに1ヶ月程度遅れて出るだろうと言われていますが、
アメリカ法務省の出方次第ではまだ遅れる可能性があります。それなのにすで
に「正式版」を売っているという不思議、中文版などは他の「中文軟件天王精
華録 第一篇」などの「これ1枚でOK」的なディスクにも当然のように収録
されています。さすがにコピーの早さには鋭いものがあります。

後から聞いた話(?)ですが、これは「コンシューマーレビュー」と呼ばれる
最終版ベータでした。ディスクには日本版、NEC98版、韓国版、繁体字中国
版のWindows98が収録されていたそうです。しかし、これにしてもタイムスタ
ンプは2月4日になっていますからかなり早い仕事であることには変わりあり
ません。

同じようなショップを回って、なかなか興味深いディスクも見ました。SIMシ
リーズのゲームが全部入っているというものです。DOS版のSIMCITY、
SIMCITY2000はいうに及ばず、ANT、FARM、・・・とWindows版のSIMGOLF、など、
蟻から宇宙基地までありとあらゆるものをSIMしてしまおうという強烈な「SIM
 CITY COLLECTION 30 IN 1」というやつです。それ以外にも「Microsoft GOLF
 1998」とか、おみやげにしたらよろこばれそうなものをけっこう売っていま
す。またVCDでも、人民共和国ではポルノを売って死刑になった人もいたと思
いますが、そういう物もあったのには驚きました。価格は1枚で40HK$、2枚
70HK$、3枚80HK$、4枚で100HK$というふうに枚数で安くなっていきます。む
ろんこれらはすべて、買うことはできますが国内に持ち込むことは違法です。

さて、だいたい電脳中心の視察も終わりましたので、そばの女人街をほんの少
し見てみましょう。ここは女性物の衣類が主なのですが、やはり雨には弱い商
品なのであまり元気がありません。並んでる屋台の一つに雑貨の端にバッグと
時計の写真を置いてあるものがあります。電脳中心の視察を終えた直後だけに、
私の察しもよくなっています。写真を見ると時計はローレックス、バッグはル
イヴィトンあたりが中心になっているようです。

「ヤウモウペンディーガローレックス?」(安いローレックスある?)と聞い
てみると、どれがいいんだ?と聞いています。私は全く種類を知らないのです
が、男物の無難そうなやつを指すと「360」とのことです。「ペンディーラー」
(まけてよ)というと、「330」とのこと。「うーむ」と考えていたら「いく
らならいいんだ」と言いますので「300ダッムダッ?」(300になる?)と言っ
たら、即座に台の下から粗末なビニール袋に入れた時計を取り出しました。あ
の様子ではまだまだ相場は安いのでしょうが、こちらが先に額を言ったのでし
かたありません。手持ちのHK$がなくなったので日本円(5400円)で払いまし
た。銀行の相場よりもほんの少しいいレートでHK$のおつりをくれました。こ
ういう露天商のあんちゃんまで現在の為替相場に精通しているのが香港のおも
しろいところです。

さて、これで今回の旅行の目的はほとんど果たしましたので、残るは音楽CDの
視察ということになります。海賊版音楽CDについては生産地がほぼ100%台湾な
ので、香港では見るべき物はありません。台湾では大手のレコード店で堂々と
海賊版を売っていますが、香港のレコード店ではすべて日本の正規品を正規の
値段で売っています。だいたいCDアルバムが200HK$程度ですから、ものによっ
ては日本より高いかもしれません。

しかし、台湾で売っているものを香港で売っていないわけがありません。とい
うわけで、おたくビルとして有名な「信和中心」(シノワヂョンサム)に行く
ことにしました。ここは旺角と油麻地の間のネイザンロードに面した場所にあ
ります。ここは日本のアイドルやアニメ関係に関する商品を中心にした一大セ
ンターで、非常にたくさんの店と電車のラッシュなみに大量の客が入っていま
す。日本でおたくというと暗い顔をした男子高校生というイメージがあります
が、このビルでは半分以上が女子高生だと思います。こういうところにありが
ちな重苦しい雰囲気ではなく、非常に騒がしいのも香港らしくていい感じです。


地下は正規物のCDが多く、2階と3階は日本のTV番組のVCDがメインです。
その間に香港のアイドルのブロマイド店やアニメ関係や小物類の店が混じり、
4階は切手とか模型のように人口が少ない趣味の店があります。その中に中古
CDを売る店があって、ここで台湾製の新品コピーを「見」ました。やはり捜せ
ばなんでもありますね。しかし、さすがに新譜は正規物しかないようで、こち
らの青少年にとっては日本のアイドルの新譜CDを買うことはけっこう大きな散
財になるはずだと思います。そこらへんの粥麺専家で食べる麺が20HK$の相場
なので、その10倍の価格ということは、日本に置き換えれば5000円以上に相当
すると思います。

これで、私の目的は完全に達成しましたので、満足してホテルに帰りました。
雨も峠を越したらしく、MTRの駅まで歩くことができました。部屋に帰ると
相棒がいて、どうやらこれからおみやげを買いに出かけようとするところのよ
うです。夕食を佐敦の付近で食べるつもりなので、8時半に佐敦站上の裕華国
貨で待ち合わせすることにしました。本当はこの夜には女人街を本格的に攻め
たかったのですが、主な目的が終わったせいもあり、夜10時半にこの部屋に私
の先輩から電話がかかってくる予定になっているので、裕華国貨で簡単なおみ
やげを買ってすませることにしたのです。待ち合わせまでの間にこれまでに買っ
た物ややったことを整理して持ってきたBIBLOに打ち込んでおきました。最近
の電源は100V〜240V程度にまで対応していますので、コンセント形状だけのア
ダプタで問題なく使えます。

8時半に間に合うようにMTRで佐敦に行きました。雨はすっかり上がってい
ます。裕華国貨でおみやげ用の台湾産の菓子と武夷茶と表示された烏龍茶を買
いました。230gで80HK$(1500円程度)はこの物にしては破格の安さですが、
持ち帰って飲んでみたら、やっぱり価格通りの味と香りでした。お茶の値段ほ
ど味と香りが正直に出るものはないですね。要するに驚くほどのお買い得品と
いうのはない、ということです。言い換えれば、やはり台湾や香港ではお茶に
対する民度が高いので、価格と品質が正確に比例しているということです。

夕食は、ネイザンロードを油麻地まで歩く途中で割合に人気の有りそうな粥麺
専家をみつけて入りました。「彩龍粥麺茶餐廰」という店ですが、大正解でし
た。昼に翠園で豪華な飲茶を食べたので、夕食は軽くすませたい、でも不味い
物は絶対にいやだ、という私の要求にぴったりでした。相棒はワンタンと牛筋
の麺、私は叉焼麺ですが、しんそこうまくて、これこそ私が市川病院のベッド
の上で退院したら食べたいと思っていた味です。まだもうすこし入りそうなの
で特製炒飯というのを食べましたが、これがまた新鮮な蝦と蟹がインディカ米
にうまく絡んで、見た目の半分くらい軽い食感で、またまた顔を見合わせて
「うっまいなー!」と唸ってしまいました。

10時半に私の先輩から電話がかかってくるので、間に合うようにタクシーでホ
テルに帰りました。部屋に入ってすぐ、その丁先生から電話がかかってきまし
た。実はこの丁先生は私の知り合いではなく、相棒(同業者ではありませんが、
業界関係者です)がひょんなことから知り合って、今回私に紹介してくれるこ
とになっていたのです。この丁先生は大学で私よりちょうど20年先輩にあたり
ますが、ペニンシュラホテルの裏手のあたりのビルで開業していて、こちらで
は名士です。翌日聞いたのですが、かの董建華行政長官もかかりつけだとのこ
とです。

明日の朝8時半に迎えに行くから、ちょっと名所を見てそれからうまい食事を
しよう、という話でした。これはどうも明日は1$も使わなくてもよさそうだ
ぞ、と相棒となさけない相談をしたのでした。それからゆっくり風呂に入って
寝たのですが、考えてみると、啓徳機場に着いてからまだ1日半しか経ってい
ないのです。今回の旅行は行程の密度が高くて、しかも失敗や無駄がいっさい
なかったことを相棒と話し合って、やはり旅行は単独行動に限るとの結論が出
ました。

三日


さて一夜明けて、朝8時半にホテルをチェックアウトして、ロビーで丁先生と
待ち合わせしました。いかにも温厚そうな丁先生は自分の運転するセドリック
でいらっしゃいました。なんでも、車が好きでベンツに長く乗っていたが、エ
グゾーストパイプが2年に一度腐食するのがいやになって、リンカーンに変え
たが、これはどうにもならないものだったので7万ドル払ってセドリックに変
えてもらったのだという話でした。こちらでは自家用車の関税率が非常に高く
て、1800cc程度の車でも300万円以上するはずですから、この話というのは日
本での価格の倍くらいの気持で聞く必要があります。やはり日本車が一番だと
話しておられました。

この後、車中で先輩や知人のあれこれについて話がはずんだのですが、日本の
大学を卒業して学位まで取ったくらいですから、丁先生は大変な日本びいきで、
一番意外だったのは「最近は香港にも日本ラーメンの店ができて、僕はあれが
好きなんですよ」との話でした。私から考えると、なにも中華料理の中心地の
ような香港で和風ラーメンなんか食べなくとも、と思うのですが「日本は料理
がうまいからいいねえ・・・」としみじみおっしゃるのでした。うーむ、代わっ
てあげましょうか?と思わず言いそうになりました。もっとも、私には丁先生
のように試験に合格する自信がまったくありません。ちなみに戦前は日本の免
許で香港などの「外地」(日本が占領していた場所、こういう言葉も今は若者
に通じないでしょうね)で開業できましたが、この先生の場合、昭和32年の卒
業ですから、イギリス(総督府)の免許(当然英語)を受けなければ香港では
開業できませんでした。さらに、香港の免許で中華人民共和国で開業すること
にはなんの問題もないそうです。そりゃそうだ。レベルが全然違うもの。

丁先生の車は海底トンネルを通って香港サイドに、そして山の中を登っていき
ます。山頂の立派なビルの駐車場に入れてエレベーターで外に出ると、ビクト
リアピーク山頂の展望台に着きました。九龍サイドから山頂に見える印象的な
形の建物は以前はなかったような気がしましたが、これだったのですね。今日
は「多雲、有幾陣雨。天氣稍涼」ですが、雨は朝方にぱらぱら来た程度で後は
大丈夫でした。前日とは変わって湿度もいくらか低く、大変に気持のいい眺め
でした。相棒はここでも豆粒ほどの大きさの飛行機を撮っていました。病気で
すね。

さて、続いて車は山肌を縫っていき、次第に豪邸がちらほらするエリアにやっ
てきました。淺水湾(レパルスベイ)です。例のどてっ腹に四角な穴が開いて
いる有名なマンションが山側に屏風のようにそびえ立ち、その下に旧レパルス
ベイホテルを改築して作った「ザ・ヴェランダ」があります。ここはペニンシ
ュラホテルと同じ経営だそうで、コロニアル様式というのでしょうか、旧館の
イメージを残してあります。現在はショッピングセンターとなっているようで
す。ここでお茶でも飲もうという事だったのですが、まだ清掃中で残念、車は
山中のトンネルと海底トンネルを通って九龍サイドに戻ります。

次に車が着いたのは尖沙咀のスターフェリー乗り場の北側にあるオーシャンター
ミナルという巨大なビルです。ここのアーケードはペニンシュラに次ぐ高級店
が入っているそうで、バブルの時には日本のOLでにぎわったそうですが、現
在は高級店街らしい落ち着きを取り戻しています。目的地はこの中にある「北
京楼」というレストランでした。ここは「翠園」と同じマキシムグループの経
営で、北京[火考]鴨子(北京ダック)で有名なところです。ここで丁先生の注
文で、飛行機の時間に間に合わせるように簡単なコースを食べさせていただき
ました。

簡単なコースと言ってもメインの北京ダックにはいっさいの省略はありません。
普通日本のコースだと、一人分はいいとこ2〜3個ですが、なにしろあの焼き
上がった1羽を3人、実質は2人で食べるのですから、とても食べきれるもの
ではありません。さすがに餅(ピン:もちではなく包む皮のこと)が終わった
ところでギブアップしてしまいました。今までの人生で最高の北京ダックだっ
たのに・・・しばらくは夢に見そうです。満腹で苦しい腹を抱えながら啓徳機
場に送っていただきました。丁先生には本当に感謝しています。やはり地元の
人に案内してもらうと、全く雰囲気が違いますね。なんとかお礼をしたいとこ
ろですが、20年も離れた後輩としては、素直におごってもらっておくのが礼儀
というものでしょう。

帰りのCX500便はほぼ満席状態です。相棒は機外を見るためにカウンターで交
渉して、最後尾の喫煙席の窓側をやっと確保しました。離陸は予定より15分ば
かり遅れました。やっと離陸体勢に入って滑走を始めたとき、窓際の席に座っ
ている相棒を見ると、さすがに北京ダックが効いたのか、彼は満腹のあまり眠
りこけていたのでした。

(終)