雑踏の誘惑、台北篇


  1996年6/5〜6/9までT社とD誌の共催による「台湾電脳市場視察ツアー」
というのにレポーターとして参加させていただきました。以上はその顛末記で
す。

6/5

  午後2時少し前に清澄のDENNY'Sで相棒の杉田さんを車で拾い、そのまま
TCATに、2時10分発のリムジンバスで成田の第一出発ロビーに3時15分に
着きました。集合は4時なのでしばらく時間をつぶし、4時にFのカウンター
で、今回お世話になるスカイアーエクスプレスのOさんにあいさつして搭乗券
を受取り、4時半くらいから第6待合室で説明会が開かれました。

  今回ツアーに参加されるのは主催者側のT社からは、この企画の発案者で
あるGさん、インターネット館のTさん、「あやしいパーツ」が専門というA
さんの他に、名古屋、札幌の支店から参加されているようでした。もう一つの
主催者であるD誌からは副編集長のSSさん、「パーツセンター」でおなじみ
のTさん、Tさんの会社のSさんというメンバーです。

  一方参加者の方はレポーターの3組の内、まずIさんご夫婦で、これは当
選者発表を見ると、どうやらレポーターに志願したのは奥さんの方で、実際、
この説明会でも積極的に質問されていました。もう一組のAさんの方は長岡技
術大学の学生さんだそうです。

  そのほかに、T社の宣伝誌のレポーターということで女性二人と台湾から
の留学生という洪さんと鄭さんが特別招待だそうで、そうすると、完全な自費
の参加者は5人ということになります。このツアーというのはもともと24人の
定員で募集していたのですが、やはり、平日を3日休んで台湾にコンピューター
を見に行こうという3つの条件を満たす酔狂な人はこの広い日本にも数人しか
いないということですね。まあ健全といえば健全ですが・・・。

  説明会ではOさんから全体的な説明があって、そのあとTさんから前回の
COMPUTEXや「あやしい部品」についてのお話があって、大いに盛り上がりまし
た。出発の3時間前に集合ということで、時間をもてあますのではないかと心
配していましたが、さすがにプロというか、説明が終わって、出国手続きをし
たら、ほとんど搭乗時刻になっていました。
  台湾時間の10時過ぎに中正国際機場に着きましたが、なんやかやで時間を
とって、結局、今回の宿泊先であるホテルワールドプラザ(環亜大飯店)につ
いたのはほとんど12時前でした。そのまま寝るには少しおなかがすいています。
さりとて夜市に繰り出すには時間が遅すぎます。しかたなくホテルの向かいの
セブンイレブンでビールとおつまみを買って寂しく寝ます。さすがに空気が湿
気をはらんでいて、この時間でも30度近くあります。テレビも終わったようだ
し、さーて寝るか・・・でも、最近アルツハイマー症が始まったのか、翌日に
なると、前日の事はよく憶えていません。明日の予定も憶えられないし・・・
おまえは「カサブランカ」かってーの。というわけで、台湾時間の2時になろ
うとするのに、このような文章を杉田さんの持参した98ノートでシコシコ打っ
ているわけですな。明日は7時起きで一日中世界貿易中心を歩き回るので、早
く体を休めなければ、というわけで寝ます。

6/6


  さて、私はいつも枕が変わると熟睡できないので、やはり5時半くらいに
は目が覚めてしまいました。外はもうすっかり明るくなっています。寝たのが
2時半くらいですから、睡眠3時間というところでしょうか。Niftyのfasiaで
下調べしたときも、皆さんが書いていたのですが、こちらの冷房の効かせかた
は半端なものではありません。なにしろ室内の温度調節ダイヤルをおもいっき
り最低の10度という印以下に回してあります。確かに蒸し暑い外から入ってく
ると一瞬気持ちがいいのですが、どんどん寒くなってきます。まさか10度以下
になっている筈もありませんが、目盛を最高にしてもやはり寒いのです。

  というわけで、これを止めて寝たのですが、やはり明け方は寒く、それも
目が覚めた原因の一つになっていると思います。そこでバスタブに熱い湯を溜
めて、ヒゲを剃りがてらゆっくり温まりました。しばらくすると杉田さんも珍
しく起きてきた(この人はほうっておくと夕方まで寝ます)ので、朝食に行き
ました。朝から食べ過ぎると後の食欲がなくなって、せっかくの海外旅行なの
に、夕食をおいしく食べる事ができないので、お約束のお粥とほんのちょっと
のおかずを食べます。さすがに5梅(最高級ランク)のホテルだけあってどれ
もなかなかおいしく、なおかつ凝っています。

  さて、いよいよ今日はメインの「computex TAIPEI '96」です。バスで15
分くらいの「世界貿易中心」に向かいます。ここは7階建てで、非常に広大な
展示会場と1000軒からのショールームが入っています。車内で渡されたバイヤー
のパスを首から下げて中に入ると、さすがにものすごい熱気と混雑で、容易に
は自分の位置が把握できません。

  とりあえず近い所から回ることにしましたが、展示ブースはおよそ500く
らいでしょうか。これを1分づつでも見ていたらそれだけで8時間以上かかっ
てしまいます。迎えのバスの時間が午後3時半ですから、昼食をはさんでおよ
そ6時間、そうとうな駆け足になってしまうのはしかたありません。まず、正
面入り口から入って左側の「ネットワークとコミュニケーション」のエリアで
は、ほとんどがLAN関係の展示で、私のような個人ユーザーにはあまり関係
ありません。モデムは36600bpsが多く展示されていますが、これを普通の回線
で使っても大丈夫なんでしょうかね。

  隣の「個人電脳区」ではなかなか面白い製品が多く、杉田さんはセガとニ
ンテンドーのインターフェースを持つというビデオボードにいたく関心を引か
れたようで、FAXを日本に送ってくれるように頼んでいました。私も一応「バ
イヤー」なので、気に入ったデザインのケースの値段を聞いてみました。なん
と30アメリカドル!これは安い。出発時の説明会で同行のTさんから「ほしー
ほしーほしーと言えば売ってくれる」という話がありましたので大いに気は動
きましたが、まだ始まったばかりで重いケースを持つのもなんだし、午後の光
華商場のこともあり、次に行くことにしました。

  次は「多媒体区」つまりマルチメディアですが、台湾ではVCDが大流行
のようで、映画をやっていたり、カラオケをやっていたりして、専用プレーヤー
もけっこう売れる商品のように思えました。実際、夜市などでもけっこう色々
なタイトルを安く売っていました。また、あちこちのブースで、展示係員が仕
事を忘れて(たぶん)「ヴァーチャファイター」に似た格闘物のゲームで遊ん
でいました。これはどこの国でも同じ(たぶん)ですね。
次の「軟体応用区」では中文のペン入力が一番の流行のようでした。中華人民
共和国で使っているような簡体字で入力すると、香港や中華民国で使っている
ような繁体字に変換されるもので、なかなか合理的だと感心しました。私も今
回、この旅行の為に簡単な電脳用語集を作りましたが、中文windows3.1と「雙
橋」という輸入法(IME)のピンイン(例のローマ字のようなヤツ)で入力し
まして、あまりにも根を詰め過ぎていっとき寝込んだ経験もあって、これは使っ
てみたいと思いました。

  「周辺機器とコンポーネント」というエリアではTさんから見てみるよう
に言われたATX対応のケースを色々比べてみました。ATXでは、コネクタ
がマザーボードに直付けになっています。ケース側ではマザーボードに平行に、
長めの穴が開けてあります。そしてこの穴に、薄手のクロームめっきの板にコ
ネクタの形をパンチしたものが取り付けてあります。穴の並び順は、シリアル、
PS2、PS2、パラレル、シリアルというのが一般的のように見えました。この並
び方がボードとケースで食い違うと、コネクタと穴の位置が合わないために使
えません。そこで、このコネクタ穴が並んだ薄い板だけ交換できるようになっ
ているものもありました。もうATXのマザーボードもこちらでは入手できた
そうですから、ケースを選ぶときは慎重にする必要がありますね。たぶんAT
Xでは従来のケースは使えなくなる筈です。

  ここまでで、ほとんど昼になりました。貿易中心のレストランは人がずらっ
と並んでいます。せっかく台湾まで来たのですから、できるだけ多く色々な所
で食べたいと思います。そこで、見当をつけて繁華街の方に歩き始めたのです
が、いつまでたってもにぎやかになってきません。温度はたぶん30度を超え、
湿度もたぶん80%以上あるに違いなく、ちょっと歩いただけで背中まで汗だく
です。2・3軒見た感じではどうも食欲がわきません。どんどん歩いて行くと、
道路の向かい側に「涼麺」の看板が・・・バイクに轢かれそうになりながら渡っ
て、屋台に毛が生えたような店に入って「リャンガーリャンメン」と流暢な
(うそ)中国語で注文すると、「スープは要らないのか」と聞いている雰囲気、
見ると「味噌湯」と書いてあります。ここまで来てなんでというので「ブーヤ
オラ」と流暢な中国語で(うそ)断ったのですが、来た「涼麺」を見るとパサ
パサの麺に甘いごまだれがかかっているだけのもので、予想とずいぶん違いま
す。結局、「ヤオイーガタン」と流暢な中国語で(うそ)頼んでなんとか食べ
終わりました。店の壁には「雑誌で紹介された」みたいな、日本でも、このて
の店によくありがちな雑誌の切り抜きが貼ってあって「ほんまかいな」という
一種のカルチャーショックを受けつつ店を出ましたが、現在自分のいる「基隆
路三段」というのがどこなのか、どうしてもわかりません。しかたなくタクシー
を拾って「チンダオシージーマオイーチョンシン」と流暢な中国語で(以下略)
やっと会場に帰りついたのでした。

  さて、午後の部は残りの「外国産品区」と「周辺機器とコンポーネント」
の残りを見たのですが、普段の運動不足がモロに出て、足が痛くてたまりませ
ん。元々趣味とはいえ、これだけ大量のブースを見ると、正直言って・・・お
それおおくも・・・飽きてしまいまして、もーえーもんね、部屋帰って風呂入
るもんね。の気持ちで一杯です。では残りはざっと流しましょう。

  「外国産品区」ではアメリカ勢がずらっと並んでいました。戦後一桁生ま
れとしては、脱脂粉乳をいただいた大恩もあって、どうもあちらの方々と英語
には卑屈になってしまいます。そこで、ここはスッと流して、次の「アクセサ
リー」は、本来は一番面白い所の筈ですが、疲れきってサバ眼になった我々の
頭には一刻も早く、この足の疲労から解放されたいという思いしかありません。
しまいには、何を見ても「わーったわーった。次行こう」ばかりです。マーブ
ル模様の、それも牛のうんこのようなマウスが・・・「わーったわーった」、
指先で3cm四方の穴の中をちょこちょこ動かすマウス「ん?わーった」、足の
形のマウス「わーった」、フィルター「ん」、キーボード「ん」、バッグ「ん」、
コネクタ「」・・・どんどん感想が短くなります。

  3時半になって迎えのバスを見たときには「やれうれしや、なんまんだぶ
なんまんだぶ」とおがんでしまいました。うそですが。足をひきずりながらバ
スに中腰でよたよたと乗り込みます。「もーわしらイッポも歩かんけんね」と
宣言したのも束の間、しばらくバスが走った後、光華商場付近の怪しい雰囲気
を察知した途端にバスからさっさと降りています。

  ま、こいうところは、秋葉ジャンキーの悲しい性(さが)といいましょう
か。いくら疲れていても餌を目の前に出されたら、体を壊すまで食べずにいら
れないのですな。さっそく光華陸橋に近い方の店から見ていきます。しかし、
2階建てバスから正体不明の男女が鼻息も荒く降りてきて、1軒づつの店の中
を血走った目でなめるように見ているのを、地元の人はどう思ったでしょうね。
どうみても変だと思います。まあ、すぐに商場の混雑に紛れてしまいましたが。
ところで、光華商場という名前は、本来は後で書くように、陸橋の下にできた
古本屋の集まりでした。秋葉原のラジオセンターのイメージが近いでしょうか。
それが、最近になって「雨後のたけのこのように」周辺にパソコン関係の店が
できて、ビルの地下にたくさんの電気関係の店が集合した「現代生活広場」や
「国際生活広場」などを含む総称となっています。これはこちらで買った「電
脳通」の記事からの受け売りです。それによると「秋葉マップ」のような光華
商場のインデックスがありますので、興味のある方はのぞいて見てください。
http://www.arclink.com/chinatown/kmark/index.html

  秋葉ジャンキーはどうもゴキブリやどぶねずみに似て、狭いところ、暗い
ところ、ごみごみしたところを本能的に見つけて入り込んで行きます。今回も
しっかり入り込んできました。全体としては驚くほどたくさんのパソコン関係
の店がありますが、八徳路の両側に並んでいる店は店舗も広いし、商売気も少
なく、法人を主な顧客にしているという雰囲気があります。それに対して光華
陸橋の南側にある「国際生活広場」はビルの地下1階と2階にたくさんの店舗
が並んでいて、学生がひしめいていました。たぶん、こちらのほうが交渉次第
で安く買えるのでしょう。また、こちらにはパーツ屋さんも何ヶ所かあって、
けっこう豊富な品が揃っていました。価格的には日本とそれほど大きな格差は
なかったように感じました。ただし、さすがにPC関係の細かいパーツは日本よ
り充実していました。

  光華陸橋の西側で八徳路の北側にあるのが「現代生活広場」で、こちらの
方もビルの地下に店が集合しています。ただしこちらはほぼすべてがパソコン
関係の店で、客の人数も「国際生活広場」よりやや少ないかもしれません。と
いっても、1000人対800人というレベルで、混雑していることには変わりがな
いのですが。私はここで一生懸命値切ってASUS P/I-P55T2P4(PB512KB)を5400
元(約21600円)で買いました。日本より8000円くらい安いと思いますが、たぶ
ん香港はもっと安い筈です。これに限らず、なんでも香港の電脳中心の方が安
いと思います。なぜ生産地の方が高いのか疑問です。ただし、香港の方はバリ
エーションが少ないのと、商品に対する信頼性が低い、つまり、その店をいま
いち信用できないので、なかなか高価なものを買う勇気がでません。それにひ
きかえ、この店ではその場でこのボードのBIOSが起動するところまでチェ
ックさせてくれました。

  古い光華商場は、高速道路の陸橋の下の北側半分の部分にできています。
1階はもろにラジオデパートです。正面の工具やさんのハンダゴテのぶらさが
り具合や、それをひやかしている客の雰囲気は全くそのままです。思わず、例
のエスカレーターで2階の本屋に行けそうな気になってしまいました。むろん、
ここは陸橋の下ですからそんなものはありません。代わりと言ってはなんです
が、地下はほぼすべてが古本屋になっています。ま、中にはアッチ方面やら、
そっち方面のCDやらテープやらもあります。ここはゆっくりみなければ、大
恩あるツクモ様に申訳ないというので、4日目にももう一度来てしまいました。

「どうですか、杉田さん、こういうものは?」
「ほう、なーるほど、あ、こりゃいけませんな。第一、ほれ・・・」
「おお!なーるほど、するとこのへんはどうですかな?」
「ほうほう、これはあれかもしれませんな」
「では、すこしなにしますか?」
「ま、そういうことになるでしょうな」
と、まあこういうことは一切ありませんでした。いや、なかったような気がし
ます、なかったんじゃないかな、まちょと覚悟はしておけって、関白宣言です
な。

  さて、買うものも買ったことだし、また陸橋のそばに集合してバスはホテ
ルに戻ります。ところで、話は戻りますが、そもそも、なぜ私はこのツアーに
応募したのか?ズバリ!それは「夜市に行く為」なのです。そりゃね、まあ、
少しは、あーいやいや、大いに電脳関係に興味はあります。しかしこれが台北
でなくアトランタだったら絶対に応募していません。ローカルの皆さんはよく
ご存知のように、私はアジア的な雑踏を好んでいます。とりわけ、中国の人が
多く暮らす都会に見られる、あのむちゃくちゃなパワーは大好きです。ですか
ら、香港に行った時は廟街や女人街の雑踏を何往復もして、すっかり足が動か
なくなりました。では、台北でこれに相当するのはなにかと言えば、それが、
市内のあちこちで行われる夜市です。

  夜市(イェスゥ)は日本の縁日などの夜店に似ていないこともありません。
親戚にたとえると、母方のいとこの嫁ぎ先の姑の茶飲み友達くらいには似てい
ます。こりゃ他人ですね。では違うのはどこかというと、要するに、圧倒的に
密度が高いのです。道にTシャツなどの商品を隙間なく並べているので、残る
スペースは、やっと1人が歩けるくらいしか残っていません。したがって、す
れ違う時はぶつかります。そして、店の数は日本の夜店の10倍以上、歩いてい
る人は日本の5倍くらいいます。そして、これらの人々が大声で値切ったり笑っ
たり呼び込んだりして、まあうるさいことこの上ありません。そして、夜店の
範囲が日本よりはるかに大きいのです。たぶん、衛生面、または風俗面におけ
る危険もずいぶんあるとは思います。代わりと言ってはなんですが、売ってい
るものはほぼ全部バッタもんです。買うときは必ず値切りますから、スリに会
わない限り金銭面での危険は少ないかもしれません。

  今回の旅行が決まった時、早速調べた結果、台北での夜市は一番有名な華
西街の他に数ヶ所で行われていることがわかりました。また、この有名な華西
街はヘビやスッポンなどの見せ物系が多くてあまり生活感がないということも
わかりました。TVなどで紹介されるのはほとんどがここなので、どこでもヘ
ビ屋があると思っている方もあるかと思いますが、今回行った所では、数百の
屋台や店がありましたが、ただの1回もヘビやスッポンを見る事はありません
でした。

  さて、話を戻して、光華商場からホテルに帰って来て、とりあえずしばら
く死にました。それから生き返ったのですが、全身がゾンビー化と言うべきか、
御当地に合わせてキョンシー化して(あれは香港じゃないか?)、まともに歩
けません。ま、ピョンピョン飛んでたわけでもありませんが。どうも杉田さん
の方も、水分の取りすぎとエアコンで体調がいまいちのようです。しかし、次
第に時間は遅くなってくるし、このまま寝る訳にもいきません。では、とりあ
えず繁華街まで行ってなにか食べようということで、表に出てタクシーを拾い、
最大の繁華街である西門町まで行ってくれるように言いました。西門町付近ま
で来たので、運転手さんに「晩飯を食べたいのだが、適当な所でおろしてくれ」
というと、龍山寺の北側の小さい夜市で下ろしてくれました。しばらく露天商
をひやかして、屋台の麺を食べることにしました。庚肉麺という、とろみのあ
る薄味のスープにしました。分量は日本のラーメンの半分くらいかもしれませ
ん。

  これが、干天の慈雨と言うべきか、寝た子を起こしたと言うべきか、とも
かく、疲れはててキョンシー化していた我々の精神やら肉体やらに驚異的な効
果をもたらしたのですな。ラー油やら醤油やらを加えると、なかなかコクのあ
る味です。1杯40元(160円)でした。
「いやー・・・なんか生き返りますねえ。」
「こうなったら、次、行くか。」
もう止まりません。

というわけで、屋台のおばさんに現在地点を教えてもらって、早速タクシーを
つかまえて台北地区最大の夜市がある士林(スーリン)に向かったのです。ま
あ大のおじさんが2人で行くのが夜市のはしごというのは情けないような話で
はありますね。士林は台北市内からは7〜8Km離れています。運転手さんが
「ここだよ」と指さしたのを見ると、おーおーあるある。見ただけで、そうと
う規模の大きい夜市だということがわかります。
「いやー・・・わし、こういうの、すっきだわー・・・」
「うーむ・・・これはなかなかですねえ・・・」
メインストリートは全長4〜500mというところでしょうか。道幅はほとん
どがTシャツやGパンなどの衣料ですが、それに混じって時計やベルト、ある
いはおもちゃや置物、海賊版CDやテープを売っている店もあります。これら
の物を買うこと自体はいいのですが、日本に持ち込むことは違法になりますの
で、一切手を出しませんでした・・・・・・。ちょっと変な間がありましたが、
気にせずに続けましょう。

  士林夜市は、メインストリートだけでなくそれに交差する細い路地や、平
行する表通りの方にまで広がっています。細い路地には主に屋台の食べ物屋、
表通りには射的、金魚、占いなどのゲーム物が主に店を出しています。しばら
く歩いたら、少し腹が減ってきましたので、裏路に入り込んで、おばちゃんが
やっている「水餃」の屋台に座りました。小ぶりなやつを1人20個くらいと缶
ビールを1本飲んで110元(440円)くらいでした。この屋台の一角は、裏道の
通路に屋根が渡してあって、食べ物の屋台が集合しています。まあ、おもいっ
きり大きい「浜茶屋」(海水浴場でかき氷ややきそばを食べるあれね)みたい
なものを想像していただければわかると思います。ところで、こういう食べ物
の屋台のそばに行くと一種異様な臭いがたちこめています。最初はなんなのか
わからなかったのですが、次第に臭いの元は「臭豆腐」であることがわかって
きました。これは、たぶん発酵させた豆腐、まあわかりやすく言うと、豆腐を
腐らせて油で揚げたものです。その後気をつけてみると、台湾の人に近づくと、
かなりの高確率でこの臭いがしています。
「どうですか、一つ」
「いやいや、遠慮しときます」
「しかし、帰ってから、ああ、あの時に食べておけば、と」
「絶対に後悔しません」
というわけで、これは残念ながら(?)パスしました。

  その後、おみやげにTシャツや正規物のCD(それでも安い)などを買い
込んで0時過ぎにタクシーで戻りましたが、その時刻でもまだまだまっすぐ歩
けない程の人出がありました。ここでの後悔は、私の俳号(ごく最近決めたの
ですが)である「担担」の印を彫ってもらいたかったのですが、3時間必要だ
と言われて断念したことです。ちなみに「担担」というのは、御存知の担担麺
から来ていまして、天秤棒で荷物を前後に振り分けて運ぶこと、あるいは運ぶ
人を表しています。昔の麺の屋台はこういうもので担いできたので、この担担
麺も「四川風屋台そば」と訳されています。これを見ても、私がいかに中国の
屋台に執着しているかがわかろうというものです。

6/7


 さて、3日目は朝7時から午後8時過ぎまで、電脳関係の会社訪問というこ
とになっています。まず最初に訪れたのがTTで、ここは弱電から強電まで幅
広く作っていて、日本で言うと東芝クラスの会社だということです。家電から
発電所までなんでも作っているのですが、今回はCRTの組立てラインの見学と
いう話になっていました。午前9時前にこの会社が作った大学の正門にバスが
着き、しばらくしてから中に通されました。なんで大学なのにものものしい警
備をしているのか不思議だったのですが、実はそのCRTの組立てラインはこ
の大学の敷地内にあったのです。しばらく構内を歩いて、ちょっと古びた煉瓦
造りの建物の一室に通されました。高校などですと、たいがい校長室の隣にちょっ
とした集会ができる部屋があって、隅にトロフィーや賞状の入ったケースがあ
りますよね。まさにああいう雰囲気の部屋に、まるで記者会見のように長机と
椅子がセットしてあります。つまり正面に10人くらいが衝立てを背にしてこち
らを向いて並び、それに対して左右に聴衆の席が向かい合わせになるように作っ
てあります。これはいったい何が始まるのだろうと思うまもなく、後ろのスク
リーンに会社説明の映画が大写しになりました。この会社は間違いなくこちら
ではトップメーカーなのですが、それにしても「TTの世界、世界のTT」と
いうカラーがあまりにも強くて、いくらか辟易しました。

 そのうちに、社員が忙しく動き回って偉い人を迎える気配、やがて出てきた
人は「TT日本」の社長さんだそうです。なるほど、T社のように大事な取引
先関係だからこれだけ偉い人がでてくるのだなあ、と思いました。ところが、
この人が中心に座らないのです。見ると、他は全部教室用の木の椅子なのに中
心の1つだけは事務椅子のようなクッション付きの椅子でマイクがセットして
あります。で、この社長があいさつするときも、中心から2つめの席でするの
です。そのうちに再度社員が忙しく動いて「TT社長がごあいさついたします」
とアナウンスがあって、男の人と女の人が入って来ました。え?本社の社長?
つったらものすごく偉い人なんじゃないの?ところが・・・またこの人が中心
に座らないのですな。すぐ左の席に座ります。女の人は社長夫人で、この会社
の通信・家電・電子系統の総責任者だそうです。これもそうとう偉い。しかし、
これまた右に座って中心に座らない。結局まんなかの席だけがぽつりと空いて
います。やがて、社長の挨拶がすんで「皆様と名刺の交換をしたいと思います」
ということになって、社員がこの2人の名刺を持ってついてまわります。こち
らはすっかり恐縮して名刺交換をしたのですが、私の肩書きを見て、ちょっと
不思議な顔をされていました。

 そのうちに、また社員がばたばたして、こんどこそ本気で緊張しています。
「え?まだ出るの?」
「TT会長が皆様とお話をいたします」
ついに真打が出てしまいました。この会長は80歳くらいで、日本に留学してい
たということもあり、そもそも、この方が子供の時はここは日本の領土だった
わけですから、当然全くなまりのない日本語を話されます。今度は中心の椅子
に座って、社員が一生懸命マイクを調整しています。「みなさん、よくいらっ
しゃいました」と言ってしばらくはニコニコしています。再び社員が忙しく、
なにやら配って回っています。会長、開口一番
「武士道とは・・・」
思わず、ズルッとこけそうになりました。この本は新渡戸稲造の「武士道」で、
原文は英語で書かれています。これを元東大総長の矢内原忠雄が訳したもので、
岩波文庫から出ています。この書物が会長のバックボーンになっているとかで、
TTの印刷会社で作られた「武士道」の原文と中文を見開きで印刷したA5版で
厚みが3cm程の本も配られました。そのうちに再度社員がばたばたして
「論語とは・・・」
と始まってしまいました。今度は同じ大きさの「論語」−The Analects−です。
「学んで時に習う、またよろこばしからずや。友遠方より来る・・・」我々は
すっかり点目で石になっています。これはいったいどうなるんだろう。そのう
ち、また社員が・・・
「吉田茂の・・・」もう、なにが来ても驚きません。今度のテキストは
「Japan's Decisive Century」これは「日本が変わった100年」とでも訳すの
でしょうか。

 まあ、ちょっと毒気を抜かれたことは確かなのですが、考えてみると新渡戸
稲造といい吉田茂といい、日本を世界の一員たらしめた偉人であることには変
わりありません。外国の人がそれを精神的な支柱にしているということには皮
肉という以上のものを感じます。その後の訪問でも感じたのは、いまや日本に
はなくなってしまった「高い志」というのがこの人達のなかに見えることでし
た。まあそのうち、この国も豊かになり、まちがいなく日本のように物質文化
が支配して背骨がふにゃふにゃになってしまうのは目にみえています。この訪
問でも、たぶん3代めだと思いますが、現社長にはどうもその気配が現れてい
るような気がしました。結局、「志」というのは、貧しさの中にしかないのか
もしれません。

  その後北投にあるTTの電脳工場を見学しました。なんと、*社のノートパ
ソコンと、え?まさか?*社のって自社製じゃないの?このOEMはイニシャ
ルすら出せません。

  「武士道」の講義のせいですっかり時間が押してしまいまして、淡水にあ
るモンゴル風焼肉の食べ放題というやつで急いで昼食を摂ります。ショー的な
要素が強く、あまり感心しませんでした。その後同じく北投にある華碩電脳に
行きました。これがかの有名なASUS TEKのことなのです。原語の読みは「ホワ
ショウディェンナオ」そして、今回直接確かめたところによると、英語の読み
は「アスステック」であることがわかりました。従来「エイサス」とか「アサ
ス」とか「アスース」とか言われていましたが、これが正解だそうです。まあ
「好きなように読んでくれていい。ただし、自分ではこう読んでいる」という
ことではありましたが。ところで、私はこの会社の品質管理には感銘を受けま
した。ともすれば「信用できない」といわれがちな、この国の製品ですが、あ
のチェック体制から不良品が出回るというのはほとんど考えられないと思いま
した。まあ日本のメーカーでは当たり前のことなのかもしれませんが。

  次に行った新竹のAの電脳工場は、同行者の話によると、全く日本の工場
とそっくりで、机の色やロッカーの配置まで同じだそうです。たぶん日本の建
設会社が工場を施工したのではないかという意見でした。当然ながら製品の管
理や工程も全くのデッドコピーですから、というより、日本の工場の一部がこ
こにあるというイメージです。それが証拠には、ほら、ここには*社のパソコ
ンが、あれ?こちらには*社のパソコンが・・・え?*社のって、ここで作っ
てたの?これもちょっとイニシャルは出せません。

  新竹は台北から60Km程離れています。見学が終ったのが6時くらいでした
が、ホテルに帰ったら8時を回っています。しかし、ここでくじけるわけには
行きません。シャワーを浴びてから、今度は饒河街(ザウホージエ)夜市に行
きました。ここでは牛肉湯麺、陽春麺、皮蛋、家常豆腐を食べて125元(500円)
でした。また、一種のソーセージのようなコロコロしたやつを焼いて串にさし
たものが6個で30元(120円)でした。ちなみにこれは2人分ですから、1人
分は日本円にして310円ということになります。満腹するほどではありません
が、足りなくもないという、実に微妙な量と味に中国文化の奥深さと実力の凄
さを見せつけられる思いです。なんて、おおげさな物でもないですが。ここの
夜市は食べ物屋が多く、それだけに例の臭豆腐の臭いがたちこめています。
「ほんとうに食べなくてもいいんですか?」
「もう絶対に結構ですから」
「しかし、死ぬ間際になって『ああ!臭豆腐を食べなかったのだけが心残り』
なんて」
「あんな物を食べるくらいなら死んだ方がましです」
「うーむ、惜しいなあ。まあ、私は要りませんが」
という会話が20回くらい(シツコイ!)交わされたのでした。

6/8


  実質的な最終日は、故宮博物院を早々と切り上げて(これは本当に心残り
でした。こんどいつか、これだけの為に行きたいと思っています)圓山大飯店
の飲茶を楽しみました。こちらは、まずまず満腹するまで食べて、サービス料
込みで1287元(5150円)くらいでした。世界の十大ホテルに数えられている歴
史的建造物というべきこのホテルで飲茶をしたのは、私にとって香港の陸羽茶
室での飲茶に続いて、個人的な快挙でした。もしあるのなら、今度は北京飯店
でやってみたいと思います。大恩あるT社様・・・今度は北京の電脳事情を視
察に行きませんか?午後からは、新光三越と、迪化街という台北で一番古い通
りを歩きました。漢方薬の問屋が100軒以上並んでいるのは壮観で、独特の臭
いが通り全体にたちこめています。ものすごいラッシュの中をタクシーでホテ
ルに帰り、広東料理の「東海」というレストランでお別れパーティをしました。
けっこう参加メンバーも気心が知れてきて大騒ぎの楽しいパーティーでした。
この時に撮った、鼻に指を突っ込んだ記念写真が雑誌に掲載されないことを密
かに願っています。

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  行きたかった夜市が2ヶ所残ったのですが、最終日は早朝から空港に向か
いました。私はあまりお世話になる機会がありませんでしたが、今回の現地ガ
イドの日朋旅行社の李さんには本当に感心しました。台湾のいろいろな事情に
ついて、いい面も悪い面も隠さず話してくれて、自分の利益の為ではなく、プ
ロとして旅行者を安全に、そして最大限に楽しませようという心配りが随所に
感じられました。また、故宮博物院ではプロのガイドの技を見せていただきま
した。数万点の抜粋を1時間で行うのは、ほとんどすべてが頭に入っていて初
めてできることです。この旅行を通じて、台湾人の志、勤勉さ、ホスピタリテ
ィが一番印象に残りました。時間が来て李さんに皆でお礼を言ってノースウエ
スト012便に乗り込むと、機内は蒸し暑く、どこに向かうのか、台湾人の団体
客が乗っていて、機内全体にあの、忘れようのない臭豆腐の強烈な臭いがたち
こめていたのでした。

(終)