839 丸に橘の角字(1)
私の生まれは広島県福山市で、名前こそ将軍のようですが、私は徳川家には
縁もゆかりもありません。強いて言えば福山市の礎を築いた水野勝成は徳川家の忠臣で、
そもそも父親の水野忠重が家康の叔父ということは家康の従弟にあたります。
二代将軍の秀忠から福島正則の改易に伴って、勝成が若い頃に放浪していた
あたりの備後福山十万石を与えられたものですが、勝成の息子で二代目の
勝俊ができたのも流浪中の「できちゃった婚」のような感じで、
この水野勝成、若い頃はかなりむちゃくちゃな暴れ者だったらしく、乱暴や武勲の
エピソードは満載です。誰か大河ドラマにしてくれないかな、と思うほどです。
ちなみに、勝俊というのは私の叔父の名前で、もう一人の叔父が博則、となると
なにやらこのあたりから名前をとっているのかな、とは思います。
ところで、題名の橘の角字とは家紋のことです。最近息子の結婚式があった
こともあって、久しぶりにこの珍しい家紋のことを意識しました。源平藤橘と
いうくらいで、橘の家紋自体は非常にポピュラーで、一目みれば「ああこれか」
とすぐにわかります。
この紋も使わないわけではありませんが、主に女性が持つ道具類とかだけで
紋付や墓石などに使う正式の紋は絵ではなく「橘」という漢字を正方形に
図案化したものなのです。
これが丸に橘の角字という非常に珍しい紋で、私はいままで、
生家から600mほど北の法真寺という菩提寺で、たぶん源流は同じと思われる
数基の墓でしか見たことがありません。確信はないのですが
本家はすでに福山にはないと聞いたような気がします。