雑踏の誘惑

バブリー上海篇


20〜23,Nov.2010

北村 家康


3日目

3日目は本隊はゴルフですが、我々は午前を豫園エリア、午後フランス租界と徐家匯ということにしていました。ゴルフのグループも一人余るので、この余ったHさんは現地ガイドとして先輩が用意してくれた元日本企業に勤めていて、現在は日本の化粧品会社の上海支店長(ファッションビルに店舗)の盛(シェン)さんという若い女性と一緒に行動することになっていました。

基本的に高校の同級生だし、今回の女性軍は皆バリバリなので、ワシのようなしょぼくれたオッサンではとても太刀打ちできないのですが、その女性軍から前日の四川料理を食べながら「アンタは自分の好きなように行動したらいけん!まず奥さんがのんびりできるようにプランを考えんと!」とお叱りを受けてしまったのです。「明日はアンタだけ勝手にどこへでも行ってえーけーね。奥さんは私達(Hさんと盛さん)と一緒にマッサージに行かん?」ということになりました。まあ私としても過去香港のサムソイポやら台北駅の電脳中心ではいつも近くのMACで時間をつぶしてもらっていたので、若干気がひけてはいましたし、本人も行きたいというので、午前中に駆け足で予定をざっと回って、午後から私だけ単独行動という段取りになりました。

まずは、初日に満足な写真が撮れなかった外灘で、月曜日の朝の人のいない所でお約束の写真を撮りました。

画像   画像
浦東方面と            歴史建築、こんどは人がいない

さて、一日の予定を半日で消化するわけですから急がなければいけません。次は豫園エリアです。実はこここそ「雑踏の誘惑」の中心になるのではないかと思っていた場所です。実は、外灘からこの豫園エリアはそれほど遠くないので500mくらい歩けば着くのです。さまざまなアヤシイ物やキッチュな物を売っている豫園商城とか小吃廣場とか上海老街とか、あるいははんこ屋とかみやげ物とかの夜店感覚に一番近いと思うのです

  
中国のサイトからいただいた豫園商城の写真、ま、ここは誰が撮っても同じ絵になるか

ところで、唐突ですが、ここで上海のトイレについて考察いたします。さすがによく聞くニーハオトイレなどは少なくとも市中、特に観光地ではほとんどないものと思われます。私も今までは男だけだったので女性用のトイレについてあまり深く考えたことがなかったわけですが、今回はそういう面に非常に厳しい同行者だったために否応無く考察を迫られることとなりました。

予習で「豫園のトイレ」についてなにか記事を読んだ記憶はうっすらある(見返してみたらデジタル表示の面白いトイレという内容でした)のですが、ここでのトイレスポットがわかりません。そこで、ここにあるデパートならいくらかましだろうと、何箇所か見てみたし、私は使用したのですが、同行者は「とても無理!」というのです。どう無理なのかというと、とにかくそこらじゅうがびっしょり濡れていると、むろん内部の床といわず便座といわずすべてびしょびしょに濡れているのです。むろん、清掃の水で濡れているわけではありません。なるほど、それを聞いてから3箇所くらいあたってみたのですが、確かに女性用男性用に限らず、不思議なのはトイレに入る前からそのあたりがびしょびしょなのです。それに気づいてから意識してみたのですが確かにトイレには必ず小心地滑(床がすべるから注意)のパイロンが立っているし、濡れていない場所を探して歩くのはほとんど無理なのです。また、この引用した写真ほどではないですが、豫園エリアの雑居ビルのトイレでは入り口に座り込んで子供にオッパイをあげている人がいました。

 
見た目よりびしょびしょ。そりゃ滑る   中国サイトから「トイレに住む人」



そういうわけで、もうこの豫園エリアはあきらめて、次の予定であるフランス租界散策にかかることにしました。タクシーを拾って、この地図の1のポイントである「復興西路、武康路」に行きました。本来は復興西路も歩くつもりだったのですが、それをすると午前中に収まらないので、予定していた四角形のルートのうち一辺をタクシー移動にして、残り3辺を歩くことにしたのです。


フランス租界の散策予定コース、復興西路、武康路、余慶路、衡山路

も、いきなり世界が違いますからね。今回、一番思ったのが、この落差が上海の魅力だということなのです。そこらへんにいるオッサンを無視さえすれば、もーここは完璧にフランスなのです。ま、行ったことがないのでわかりませんが。少なくとも中国ではなくヨーロッパのどこかの住宅街であることだけは確かなのです。

豫園エリアのこれこそ中国という(むろんあれも全部観光用に最近作ったものではありますが)けばけばしい建物にがやがやと人間がいっぱいというのから一転して、行けども行けども高い塀にプラタナス並木、その落葉を集める掃除夫とかね、もーシックなんですわ。

  
もー世界違うからね            果てしなく続くプラタナス並木

で、これをゆっくり歩き始めたわけですが、街並みがシックになったからといって、自然の呼び声が聞こえなくなったわけではありません。ちょっと気後れするような花屋の脇を入る武康路376号というのでしょうか、カフェレストランやブティックなどの複合施設ですが、中庭に入ってみるとカフェテラスの奥にどうやらトイレもありそうなので、ここで拝借してみましたが、見事に床も便器も乾いていました。

この一件に対する我々の見解は、要するに、上海のトイレが汚れているのは、年寄がいけないのだ、ということでした。つまり、おのぼりさんで出てくる年長者というのは、西洋式の便器も水洗トイレも知らないので、女性も腰を浮かせた立ちションをするのではないか、日本でも私が子供の頃には、田舎の肥だめでおばさんが後ろ向きに立ちションしている姿はそれほど珍しいものではありませんでした。それを考えると当然と言えば当然の話です。このフランス租界エリアとか、この日の夕方に行った泰康路(田子坊)などは年寄りにも田舎者にも全く興味がなく、いるのは都会の若者ばかりです。そのような場所にいるのは、むしろ西洋式のトイレしか知らない世代なのできれいなのだ、という結論になったのです。その後、更に観察してみると、例えばかなりきれいなデパートのトイレにでも、入るときに若い女性は必ず入り口付近で紙を何枚か用意します。また、そういうところには紙が用意されているのです。あれは便座を拭くために用意するのだということがしみじみ理解されたのでした。

  
武康路376号の入り口            中庭のカフェテラス、そりゃトイレはあるよね

人心地を取り戻したので、人気の少ないフランス租界をゆっくり歩いて、武康路と准海中路の交差するポイントまでやってきました。地図上の2のポイントです。ここの三角形の場所に建っているのが武康大楼、通称ノルマンディーアパートという印象的な歴史建築物です。これは1924年に建てられて、現在はその外観から汽船大楼と呼ばれることが多いようです。

ここから余慶路に入りました。ここにはほとんどこれというものがないだけに、むしろ典型的なフランス租界という雰囲気が満点です。途中で人民解放軍の衛兵が守っている長い塀の建築物があって、いったいなんなのか気になったのですが、あまりしつこく覗いてみるのも怖いのであとで調べたら、スワイヤーハウスという財閥の邸宅跡で、現在は興国賓館というVIP専用のホテルらしいです。

  
ノルマンディーアパート            典型的なフランス租界

広元路でショートカットして衡山公園の場所から衡山路に入りました。地図の3のポイントです。フランス租界のメインストリートは准海中路と、この衡山路と言ってもいいかもしれません。元々水郷だった上海は多くの道路が元は水路だったと思われます。この衡山路も南西に向かって緩やかに下って行って、やがて現在の肇嘉浜路と華山路の水路と出会って、一つになります。この場所が徐家匯(シュージャーホイ)で、匯とは水路の合流地点を意味しています。

そういう意味からすると水路を遡る方向で衡山路駅を過ぎました。この後、Hさんと盛さんとホテルで待ち合わせしているのですが、足もいい具合に疲れてきましたので、フランス租界の散策をスターバックスコーヒー衡山路店で終了することにしました。ここは多くのガイドブックに出ている赤いパラソルのカフェテラスの中ほどにあります。地図の4のポイントです。ここに入ってゆったりしたソファに腰を落ち着けると、前半の豫園エリアで、混雑と不潔に辟易していた同行者は「あー気持ちが休まるわー」としみじみ言ったのでした。

  
衡山路            星巴克珈琲衡山路店

これで私が立てた旅行計画は終了し、一旦静安寺のホテルに帰ってHさん達と落ち合いました。その後盛さんの案内で、地元っこモードの飲茶を南京西路の「王家沙」という店で摂り、これも先輩がアレンジした運転手つきのワゴンで徐家匯の交差点まで送ってもらって以後単独行動となりました。女性3人はこの後、南京東路の「桃源郷」というマッサージの店に向かいました。ここは初日に自動両替機を使った海侖賓館の並びです。

  
南京西路「王家沙」            台湾式足つぼマッサージ「桃源郷」

さて、私はみんなと落ち合う5時までの単独行動となりました。実のところちょっと嬉しいのです。まずは徐家匯の交差点に立って、百度やE都市の3D地図を頭に思い浮かべます。実際あの3D地図というのはよくできています。最初から大体どこになにがあるかわかっているのですから、こんなにありがたいことはありません。これだけ広い場所をいちいち試行錯誤していたらすぐに時間と体力切れになってしまいます。ただし、この交差点は大きいビル間はほとんど地下道での移動になるのですが、さすがに3D図ではそこまで読めませんでした。

これがE都市の3D図ですが、すべての場所が地下道に通じているのが、今だったらわかるのです。まさに水路の集まる場所であることが、この3D図を見るとすぐに理解されます。赤い矢印が上から華山路、衡山路、肇嘉浜路です。つまり午前中はこの2番目の矢印を右方向へ歩いてスタバに至ったというわけです。


E都市から徐家匯交差点付近

徐家匯が目的地なのは、これが上海の秋葉原に相当する場所だからです。と、いっても、基本的には徐家匯は郊外へのバスターミナルと大型デパートが集まっている場所です。そういう意味からは東京に例えると新宿が一番近いと思います。上海の電脳街としては、徐家匯、准海中路、そして宝山路が挙げられます。この宝山路のほうは、特に今回行かなかったことが悔やまれてならないのですが、トイレ事情も格別に厳しいそうなので、ここには単独行以外はとても無理でしょう。秋葉原をジャンク街と見るならば、上海の秋葉原はここでしょう。ただし、本家秋葉原ではジャンク店は壊滅状態ですが。

  
准海中路の電脳店            宝山路のジャンク街

徐家匯で電脳を扱っているのは太平洋数碼一期、同二期、美羅城百脳匯の3つだとあらかじめ予習していたので、この3つだけは見てみました。上の3D地図で見ると画面の下端のあたりで交差点の右側です。が、思ったほどパーツ類が充実していないのと、むしろデジタル家電に重きを置いた商品設定でしたので、正直言ってなんの成果もありませんでした。また、徐家匯の交差点は地上を横断することができません。従って、徐家匯のランドマークである港匯広場のツインタワーとドームの前から美羅城に行くには、一旦地下道に入って、けっこう大変な距離と経路を歩かなければいけません。私は数回往復しただけですっかり疲れてしまいました。

  
太平洋数碼一期            美羅城百脳匯

そうこうしていたら、昨夜の四川料理と白酒(バイジュウ)が出口を求めてグルグルしてきました。こっこれはマズイ!私はここ10年くらいは絶対にウオッシュレットが必要なのです。でもどうしても駄目なら後でシャワーが使えれば、というわけで、急遽ホテルに帰りたいのですが、これがまた徐家匯というのは巨大な地下鉄駅ですが、タクシーとか自動車が停車する場所がほとんどないのですな。がんばればなんとか大丈夫だろう、と地下鉄1号線で人民広場乗換えで2号線で静安寺まで戻りました。またこの人民広場での乗換えというやつが、もー遠い遠い。やっとスイスホテルについた時はほっとしました。

  
港匯広場のドーム            まだ人民広場にも着かない

もう再度電脳調査に出撃する時間はありませんので、ちょっと休息した後でタクシーで待ち合わせした泰康路(タイカンルー)に向かいました。ここは上海のソーホーと呼ばれる場所で3本の迷路のような路地の中に狭いオシャレな店がひしめいています。ちょっとしたオブジェに驚くほどの値段をつけて売っていますが、ま、これはこれでわかる人はわるんだろうな。こういうスポットは東京にはないかな?一通り盛さんに案内してもらってから、最終日のバブリーな食事「名軒」に向かいました。

  
泰康路、田子坊            歴史建築「名軒」

ここはフランス租界の衡山路駅に近い場所にあります。1934年に建てられたスペイン式洋館を使用した格調ある雰囲気の中で高級食材の料理が出ます。これこそ上海でしかできないぜいたくです。普段食べ慣れないもので、我々は出るものを片っ端から平らげて肝心の記録を撮ろうと思ったときはわずかに一人のあわびが半分残っているだけでした。フカヒレは間に合いませんでした。

  
わずかに残ったアワビ            「名軒」HPより

いやー本当に豪華な3日間でした。翌日の出発は朝早いため、蘇州へ行く先輩とは出発のあいさつができません。そこでホテルのバーで例の西瓜ジュースを飲みつつ、このオリーブ会(高校の同窓会はこういう名前なのです)上海視察ツアーの解散式をしました。今回急用で来れなくなったメンバーも入れて2年後にまたやるぞ、という宣言もありました。

4日目

これまた先輩に手配していただいた車で浦東に着き、搭乗するところまではスムーズだったのですが、一旦は出た離陸許可が取り消されて、そのまま待機することになりました。操縦席も中国当局からの指示がつぎつぎに変わるのにとまどっていて、結局席に座ったまま2時間が経過してやっと離陸しました。疲れ果てて帰宅すると、TVでは繰り返して臨時ニュースが続いています。なるほど、これだったのか。

短い日程にやりたいことを詰め込みすぎて、それぞれの滞在時間が全部駆け足になってしまいました。せっかく作った詳細地図も帰ってからさらに復習したので各ポイントのつながりがしっかりしてきました。こんど行く機会があったら単独行動でチェックしたいポイントも色々出てきました。体と心が完全に老化する前にリターンマッチができるといいのですが・・・・。









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