雑踏の誘惑

北京の5.5日

11〜16,Aug.2000

北村 家康


2日

朝6時に眼が醒めてしまったので、SO-NETの海外ローミングサービスのGRICの設定をしました。0発信で北京市内のアクセスポイントにかけるわけですが、これが回線品質が悪く、なかなかうまくつながりません。それでもなんとか設定して、とりあえず自宅にメールを送っておきました。ついでに北京の天気予報を見ると情勢はほとんど変わっていません。つまり、12日が曇り時々雨、13日が雨、14,15日が曇りというものです。前日の予報では14,15は時々雨だったので、この部分だけ少しよくなったのです。窓の外を見るとなんとなく持ちそうな天気です。

  明日は絶対に雨で、その後のことはわからないのなら、そうひどく降らない今日のうちに八達嶺長城に行ってしまおうと、なんとなく話がまとまりました。毎度のことですが、私は街の様子とか交通機関とかに強い興味を持っていますので、八達嶺行きのバスが出るという前門(チェンメン)に行こうというので、約1.5km離れた地下鉄の建国門駅まで歩きます。途中で布や服関係の屋台が並ぶ秀水市場(照明がないのに夕方を過ぎてもやっていたのには驚いた)を見た後、大使館街を歩きます。旧東側の国が多いのが特徴で、どこも広大な敷地の庭にこれまた巨大なパラボラアンテナを設置しています。あれで内容を圧縮してワンショットにした暗号通信を母国と行うのでしょうね。


メインストリートの建国路/長安路


建国門にあたりをつけてメインストリートに出てみると、駅はもう1ブロック先で、代わりに大きな友誼商店のビルがありました。ここで一言お断りしておきますが、北京のビルはすべて巨大です。ですから、この文中で「大きな」というのは、東京で言えば日本橋三越あたりがまあ普通クラスで、新宿高島屋あたりが「大きい」、「巨大な」というのは、それプラス敷地が広いということで、こんなのがずらっと並んでいるわけです。友誼商店というのは、まだ中国がばりばりの社会主義国だった頃(と言ってもたかだか15年程前ですが)外国人だけ(と党の特権階級)が買うことを許された西側の贅沢品と中国産の高級品を売っていた店です。今ではほとんど面影はなく、誰でも入れる、やや高級志向の店になりました。今や普通のスーパーやデパートが日本とほぼ同じレベルになってしまったので、外国人は当然そちらで買いますし、友誼商店は絶対にまからないことが知られていますので、兌換券と同じく廃止されるのは時間の問題でしょう。

  高級品はもともと嫌いなのですが、ここまで来たら急に雨が激しくなってきたので雨宿りに入り、ざっとひやかして回ったら三階に文房四宝を売っていて、見ると篆刻も行っています。印材を見るとけっこう安物ばかりなので、刻字の値段を聞くと1文字20元とのことでした。印材の一番安物は30元からですから、これを組み合わせると70元(900円)からできてしまいます。これは台湾の屋台より安い上に書体もまずまずです。本当は前門の後骨董街として有名な瑠璃廠に回っておなじみの「担担」を注文するつもりだったのですが、ここだと1本20分で彫るということですから、この際おみやげ用も含めて3本彫ってもらうことにしました。全部で230元(3100円)はけっこう安いと思います。

  これでさっそく懸案事項が減ったので喜びつつ地下鉄の駅に。地下鉄は全線一律3元で、駅の入り口で昔の駄菓子屋の「スカ」が出るくじのような券を買っておばさんにわたします。香港や台湾の地下鉄に比べるとかなりのローテクと言えるでしょう。地下鉄は一昔前に話題になったように核戦争のシェルターになっているせいでしょうか、かなり天井が高いような気がします。ホームの女性服務員に聞いて環城線に乗ります。

  今回、行く前にイメージトレーニングしたのですが、北京の街はほぼ東京に重ねることができます。距離もだいたい似たり寄ったりです。まず、中心の故宮(紫禁城)が皇居、これは当然でしょう。天安門広場や前門を含まない紫禁城はほぼ2km×1kmの長方形をしています。皇居に重ねると、靖国神社、国会議事堂、祝田橋、お茶の水駅を結ぶ線内に相当します。ちなみに周辺を含めた皇帝用のエリアはほぼ千代田区の大きさに等しくなっています。山手線が地下鉄環城線(環状にあらず)で、これもほぼ同じくらいの大きさです。中央・総武線に相当する一号線が環城線(山手線)と交差する場所、すなわち秋葉原が建国門、新宿が復興門ということになります。


北京の山手線と中央線?

繁華街としては王府井の位置がお茶の水あたり、西単が四谷のあたりでしょうか。そう考えてくると、今回泊まった京倫飯店は浅草橋のあたりなので、天安門(飯田橋)まで歩くのはちょっと無理だという按配です。この方式は東京に住んでいる人にとっては大変わかりやすい方法だと思います。ちなみにこの方式で行くと、今日行こうとしている八達嶺長城は埼玉県の長瀞のあたりと言えるでしょうか。さらに言うと結局行くことになった頤和園は練馬区のあたり、中関村は板橋区のあたりと言えるでしょうか。

  というわけで八達嶺行きのバスが出るという前門で地下鉄から出ます。ここは紫禁城ゾーンの最南端に相当する場所で天安門広場の南側にロータリーのような形になっています。


  

これが前門                   ロータリーの周辺部


このロータリー部分がバスの発着場になっていて、大小あるいは新旧とりまぜてさまざまなバスがひっきりなしに出入りしています。ここに足を踏み入れると外国人と見て早速「八達嶺行きのチケットは?」「八達嶺に行くの?」「八達嶺のタクシーあるよ」と、さかんに「バーダーリン、バーダーリン」と客引きしてきます。下調べして、外国人向けのツアーは800元だが、中国人向けのツアーは65元ということを知っていますから、それに乗ろうというわけなのです。しかし、考えてみると朝からなにも食べていません。そこで、このローターリーの周囲にある食べ物やの中でとりあえず眼についた「浦江楼」という店で「上海小吃」を食べることにしました。菜肉大饂飩5元(これは「うどん」ではなく「ウオントン=わんたん」)、爆魚麺6元、小龍包5元で二人で200円程度でもけっこう満腹です。味はまずまずというところでしょうか。
ワンタンにご満悦

  さて、腹ごしらえもすんだので、案内のおばさんに八達嶺行きの観光バスを聞くと100元で3ヶ所(八達嶺、明十三稜、地下宮殿)を回るツアー以外にはない、今出れば(午前11時)夕方の7時に帰ってくると言っています。ちょっと長すぎるので、八達嶺だけを路線バスで行くことにして、その919路の乗り場を捜したのですがどこにもありません。これは結局前門からは出ていないことがわかりました。もう時間も遅いし、雨も降ってくるしで、今日のところは八達嶺はやめて頤和園にすることにしました。と言うのも「頤和園行き」の22路というやつに人が乗っているのを見たからです。

「スカ」のようなキップ

  結局前門の地下道を4回も往復して、やっと22路には乗れたのですが、先程見た頤和園行きではなく「牡丹園小区行き」というやつしか来ませんでした。ちなみに市内バスは全線1元です。オバサンの車掌が例の「スカ」のくじのような切符を「没票的買票」(メイピャオダマイピャオ:切符のない人は買え)とどなりながら売ってくれます。


バスの中から天安門広場を見る

席がいっぱいなのと西四大街がすごい渋滞なのでずっと立ちっぱなしです。西単、西四を経由するころやっと席が一つ空いたので、周囲の女性の冷たい目を無視して無理やり座りました。脚が限界に来ていたのです。相棒は立ちっぱなしです。こういうときに人間の本性が出ますね。やがてバスは小雨の中をどんどん北上し、環城線を超えてさらに北の北京師範大学を超え、北三環中路(東京で言えば環七か)を越した太平橋あたりで終点になってしまいました。相棒はさすがにげっそりして「お願いだから頤和園まではタクシーにしましょう」などと言います。しかたなく、と言っても私もさすがに疲れたので、通りかかった夏利を拾って頤和園に行きました。ぼられたとも思えないのに意外に遠くて27元(365円)ほどかかりました。逆計算すると15kmというところでしょうか。シャレードのエンジンがいかれているらしいのと、雨で窓をあけないので空気が濁って気分が悪くなってしまいました。

これがおなじみの夏利(シャレード)


  さすがに北京で最大の観光地だけに、頤和園のゲートはかなりの規模です。33元と出ていましたが、2人分買うと50元になるようです。
頤和園のゲート


  頤和園は、皇帝の夏用の離宮を主に西太后が整備したもので、大きな半人造池である昆明胡とその北側にある万寿山という築山に建てられた各種の仏教建築と、乾隆帝が愛した蘇州の風景を模した水路と街並からなっています。こう書くと「ああ君主が作った庭園か」ということで水戸の偕楽園や岡山の後楽園を連想される方もあるかと思いますが、そこは中国の皇帝です。規模が想像を絶しています。大きさですが、290haといいますから、大まかに言って京葉道路と永代通り、清澄通りと四つ目通りの4本の道路に囲まれたエリアくらいの広さです。あるいはこう言った方がわかりやすければ、東京ドームの120個分くらいです。湖の遠景が霞んでいてモーターボートが全速で走っているのが築山(といっても100mくらいあるはず)の上から豆粒のように見えます。


  

万寿山から昆明胡を望む             乾隆帝が愛した蘇州街


頤和園に入り、まず一番外周路である蘇州路を行くと有名な蓮池にジグザグの回廊、ここはよくCMなどで使われる有名なポイントです。

  足が疲れているのでここでお茶を飲むことにしました。中国人の観光客は皆大きなカップラーメンを食べ散らかしています。文化の違いとは言え、どうもあの家族で食事した後の汚い風景だけは私も好きではありません。単に「茶」とだけ注文したのですが、来たのは茉莉花茶でした。香港などでは観光客にはジャスミン茶を出し、自分たちはポーレイ(プーアル)茶を飲むことが多いようですが、今回、この後も注意して観察したのですが、北京では一般にも花茶が好んで飲まれているようで、ここでも菊花茶を飲んでいる人もいました。2人分で8元で、茶葉がたくさん入った茶壺(急須のこと)と非常に熱い湯が入った魔法瓶を置いていきました。もう私はこれだけで帰ってもいいと思ったのですが、全体を100とすると、この場所はまだ最初の1くらいしか消化してないので、相棒は全く許しません。


「もう帰ろうよ」


とにかく高いところから見なければというので、万寿山を裏から登り、昆明湖を望む排雲殿に降りました。と、簡単に書きますが、急な石段と道が無いような場所を無理矢理登り、上に着いたときは汗だくで膝ががくがくです。

  

仏香閣                排雲殿


「どうですかこの眺め」「うんうんこれね」「ほらほらあれ」「うんうん」「あれはどうですか」「うんうん」てなもんで、今度は排雲殿から真下に下り、修復なったという長廊(ここもけっこうCMポイントです)を歩いて石造りの船とかを見たりして入り口に戻りました。先ほどの例えで言うと100の内20くらいは見たかもしれません。あれは体力があまっていてもきついと思います。
長廊にて

もうすっかり疲れたので、帰るしかないのですが、私としてはむしろメインの中関村を見ないわけにはいけません。ここは北京大学を中心とした一大テクノエリアで、最近では「北京の秋葉原」と呼ぶむきもありますが、見た感想はちょっと違って、秋葉原に近いのはむしろ西四あたりだと思います。ここは・・・どう言っていいのかわかりませんが、強いて言えば、あるいは筑波学園都市に似ているのかもしれません。つまり、一つのエリアに同種の店がびっしり軒を接しているのではなく、一つ巨大電脳市場があると、同規模の市場が500m先にある、さらにその500m先にもう一つ、という按配に東京で言うと一つの区くらいの面積の中にこういった施設があちこちに散らばっているのです。したがって、これらの電脳市場を足で歩いて全部制覇するのはかなり無理な話です。

  ぼられない為に頤和園からちょっと歩いてタクシーを拾いました。ところが、乗ったとたんにすぐわかる悪質タクシーで、メーターをシフトレバーの前に置いて隠して(こうすると客が見てないときに表示を細工できる)いますし、義務づけられた名前表示(悪質タクシーに会ったら名前と番号を公安に通報してくださいと貼り紙してある)も見あたりません。そのかわりクーラー付きなので生き返る気持ちです。ボられないようにさかんに話しかけます。「運転手さん、電脳用品を買いたいんだけど、どこら辺がいいですかね?中関村の中で運転手さんが一番いいと思う場所でおろしてください。」北京大学を経由して中関村、「中関村中海電子市場」の前で「ここが一番大きいからね」と下ろしてくれました。17元(230円)はボられたとしても2〜3元のレベルなのでまあまあでしょう。

  「中関村中海電子市場」は香港や台湾でおなじみの電脳中心スタイルです。ただし、こちらは敷地が広いので、内部の通路が10本×5本くらいあります。まあ無理矢理言うと秋葉原のラジオセンターをあの密度のまま縦横5倍に拡大した感じでしょうか。ここを見た後、その向かいにある10階建てくらいの「太平洋電子市場」も見ました。こちらはまだ新築で、テナントが全部埋まってないようです。上の階に行くほどマニアックな商品構成になるのがちょっとおもしろいと思いました。中関村ではすべて商品には価格が書いてありません。ということは要するに交渉次第ということです。相棒がマウスを買うというので言い値60元のA-OPENのスクロールマウスを40元(540円)まで交渉してみました。小姐の様子ではまあこの程度だと思います。やはりTシャツなど(言い値の3分の1くらい)に比べると原価が高いだけやむを得ないと思います。

  中関村ではハードのみでソフトをほとんど売っていません。たまにソフトの店があっても毒にも薬にもならないようなものばかりを並べていて、Windows、OfficeやPhotoshopなどは別の棚に正規品をひっそり並べています。どうやら、ソフトは100%コピー品を使っていると見ました。というのは、一軒のソフト屋で、呼び込みが「安いソフトはこっちで売るよ」と外の方を指さしていたからです。また、電脳市場の入り口付近にクリアファイルに入った一覧表のバインダーを抱えた客引きが数人たむろしていたことでもわかります。たぶん倉庫として使っているエリアでコピー品を売るのでしょう。さすがに私も今回はこれらのソフトについては「調査」しませんでした。

  これで、本日の予定は完全に終了したので夏利を拾い、まっすぐホテルに帰ります。あいかわらず「ジンルン(京倫)」が通じません。約20kmで42元は適正な価格です。なぜ適正とわかるかというと、今回私はNIFTYなどのフォーラムを見て、あまりに北京に悪質タクシーが多いのに驚いて、地図にあてれば料金がわかるスケールを用意しておいたのです。北京に行かれる方はぜひこれと、ナンバーと運転手の名前を控える為のメモ(筆談にも使えるし)を用意することをお勧めします。

  さて、非常に疲れた一日が終わりました。あまりにも内容が濃いので、あれが今日のことだったとは思えないのですが、出掛けに友誼商店で篆刻を注文していたのでした。まずこれを取りに行きました。台湾のものに比べて書体に格調があります。


左が今回作ったもの、右が台北の士林で作ったもの


大満足してホテルに帰り、とりあえず風呂に入って足の筋肉のストレッチを行いました。いやー実際、この北京というのはなんでこんなにめったやたらに歩き回るようになっているのでしょうかねえ。

  夕食ですが、安価豪華安価というリズムで行きたいとなんとなく話がまとまり、昨日は「餃子大王」の小吃でしたから、今日は「豪華」の番です。と言っても宮廷料理の彷膳飯荘などではかなり強烈な値段になりそうですし、やはりそこで一番格調の高いレストランに行くにはそれなりの格好をするべきだと思うのです。ちなみに、今回の私の衣類は汚いジーパンとTシャツとスニーカーがすべてで、いくらかきれいなTシャツを選ぶ程度の選択肢しかありません。そこでガイドブックから横浜中華街や香港でもおなじみの「翠亨邨」を選びました。

  ここは正確には「美麗華翠亨邨茶寮」といい、北京で一番豪華なホテルとして知られる「長富宮飯店」(ニューオータニ)の並びを100mくらい東に行ったところにあります。たぶん香港資本のレストランで、夜でも飲茶ができるというところから選びました。蝦餃子、焼売、韮春巻き、ハタの甘酢、手羽の五香粉、水角で166元(2240円)はけっこうな値段です。日本の相場に換算すると1万円くらいにはなるでしょう。広東料理ですから、まあ香港なみというわけにはいきませんが、値段相応のものはあったかもしれません。

  しかしそこは社会主義のしっぽをひきずっている国らしく、サービスということが従業員の骨身にしみこんでいません。まず、注文した品は簡単なものばかりなのに、出てくるのがやたらに遅い。また、そこらへんにただ立っているだけでなにもしない従業員が、それをサービスだと勘違いしているのか、やたらに薄いお茶をつぎ足すので、最後にはお茶というよりお湯で腹がごぼごぼになってしまいました。お茶のグレードも金を取るレベルではなかったと思います。また、琴と弦楽器の生演奏をやっているのですが、いまいち下手で、選曲も思わず首を傾げるような物ばかりでした。わざと時代がかった装束でサービスするのなら「荒城の月」や「蛍の光」はては「ハッピーバースデー」(誕生日の客がいたとしても)はないのではないでしょうか。

  この場所は京倫飯店からもそれほど遠くないので、ぶらぶら歩いて帰りました。このあたりは外国人旅行者が多いのでそれを当て込んだ乞食がいっぱいいます。7〜8才の子供と見えたのが手をつかんで「マネー」と言います。また身障者になったことを売り物にした者も何度か見ました。これから見ても中国は完全に社会主義国ではなくなっています。


ホテルに近いスーパーの入口付近

部屋に帰って汗でどろどろになった下着とTシャツを持参した洗剤で洗濯します。今回は荷物をできるだけ少なくして洗濯するというコンセプトなのです。スーパーで買った北京ビールと燕京ビールを飲みながら、ノートPCに忘れないように一日の出来事を打ち込みます。中国人が世界で一番ビールを消費しているって知っていましたか?北京のビールはくせがなくてすっきりした味はなかなかです。やっと長い一日が終わりました。だんだん睡眠が「昏倒」に近い物に変わってきます。



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