雑踏の誘惑

台北無情篇


14〜17,Jan.1998

北村 家康


4日目

またしても朝から激しい雨が降り続いています。今回はほとんど青空を見ることが無く最終日になってしまいました。雨が小降りになった隙をついて圓山大飯店をバックに記念撮影をします。チェックアウトして旅行社の迎えを待ちます。今回こちらで使った金は、カードで払ったものも含めて約3万5千円という結果になりました。旅費宿泊費その他一切合切で2人で20万というところでしょうか。ホテルの豪華さを考えると大変リーズナブルな旅行だったと言えそうです。

画像圓山大飯店にて画像


他の4人のグループと合流して旅行社のワゴン車で中正機場に向かいます。そのまま高速に乗るのかと思っていたら、またしてもおみやげやに連行されてしまいました。むろん、何も買うつもりはないのですが、手持ちの通貨が空港使用料の300元×2人分を払うには少し足りなかったので、ここで2千円を両替してもらいました。意外にも手数料なしの正規レートでした。


入り口でもらったパンフレットを見ると、この場所は松江路の行天宮の向かいでした。ここはまだ見ていないので、集合時刻まで地下の占い横丁(ほとんどまだ開店していませんでしたが)と行天宮を見学しました。ちょうど読経を行っていて多くの信者が熱心に礼拝していました。ちょっとカソリックのシスターの着ている服に似た、薄い紺色の道服を着たおばさんたちが、持参した台の上に跪いて熱心においのりしています。こちらの廟はいろいろな宗教が混合しているのが特徴ですが、今日はどうも道教がメインのような気がしました。全く自信はないのですが。

行天宮画像

PHOTO CAFE’TERRACEより引用


他のメンバーを土産店の前で待っていると、以前にTV番組で見たことのある「糸を使って顔を剃る」屋台が歩道に出ていました。屋台と言っても靴磨と同じ程度の椅子と台だけで、そばの木に「挽瞼」(本当は月へんで、つくりの下半分がツに一、これは「顔」という字)と書いた布を看板代わりにぶら下げていました。150元(600円)だそうです。職人は年配のオバサン(これは台湾語)で、かなり年の行ったおばあさんがちょうどやってもらっていましたが、顔に白い石鹸のようなものを塗りたくられていました。かなり時間がかかるもののようです。ガイドの説明によると、これを一回やっておくと剃ったのとちがって生えてこないのでいいのだとか、同行していた日本のオバサン(これは日本語、つまり台湾語と同じ)達も「私もやってもらいたいわー」と口々に言っていました。


これで、意図せずに市内の観光ポイントはほとんど押さえたことになります。台湾は歴史が浅い国なので、それほど見るべき文化遺産はないと言ってもいいと思います。まあ、この程度の観光でも充分でしょう。そういう意味では、到着日の午後と帰国日の観光というのは結果的に大正解だったと思います。


また、今回、ほんのかじった程度の台湾語ですが、これは大変効果がありました。タクシーでもお店でも、北京語で言っているうちは単なる客という感じでビジネスライクなのですが、向こうの言っていることがわからないとき「ゴア ボエヒャウコン タイワンオエ」(私は台湾語が話せません)などと言うと、すごくいい笑顔になって明らかに親密な感じで「OKOK」と少々の無理は許してくれるのです。相手に喜ばれる言葉を使うことの重要性を再度確信しました。私だって外国人が私の郷里に来て「わしゃあ、ふくやまべんが、ようわからんけえ」とか言ったら、そりゃあ悪いようにはしません。


こんどこそ中正機場に向かいます。空港のある桃園付近ではぼちぼち田植えの準備をした水田が雨に濡れています。台湾北部は二期作なので(南部は三期作)正月を過ぎたら一斉に田植えが始まるそうです。今回の旅行ではついに最後まで雨が降り続いたのでした。今回、目的が達成できなかった台南の虱目魚肚粥と高雄の木瓜牛乳、永康の牛肉麺、度小月の担仔麺、それに「珍撰美食」の飲茶は次回に回しましょう。だれか、夏の暑い盛りに私につきあって雑踏を歩き回る根性のある人はいませんか?

画像 画像 画像

台南の虱目魚肚粥 永康の牛肉麺 度小月の担仔麺


私の番外編


少しDEEPな話を・・・。

台北のホテルについて
グランドホテル(圓山)は戦前までは日本神社で、跡地に蒋介石が中国の宮殿様式の建築物を建てたもので、長い間外交部(外務省)が賓客用として補助金を出していたこともあり、宋美齢女史が所有していたこともあって、台湾人にとってはいずれにしても征圧者の象徴的存在である。二階の回廊に、古代の台湾に船でやってきた中国人に台湾の原住民が土下座している絵が飾られていたが、あのセンスは完全に外省人のものだと思う。
終戦時に日本神社の鳥居めがけて台湾人(当時は日本人だったわけだが)パイロットの戦闘機がつっこんで自爆した。すぐそばの松山空港に着陸失敗したと説明されているが、「自決」だったという説も根強い。こういう「物語」があること自体がこのホテルの価値で、格式だけは誇っているが、設備や豪華さという点からは現在は4〜5番目あたりにランクされている。むろんスタッフの対応は申し分ないがホスピタリティには欠けるという評である。
では一番豪華なのはどこかと言えば、グランドハイアット(凱悦)なのだが、ここは刑場跡で、ロビーや部屋に経文が飾られていることはけっこう知られている。昨年私の知人が霊感が強いという人と宿泊したがやはり「変だった」とか。ただし、私はこの手の話はいっさい信じないことにしている。
この次にランクされるのが、アンバサダー(國賓)、リージェント(晶華)、プラザ(遠東)、アジアワールド(環亜)などだが、総合的にバランスが取れているのはリージェントだという意見がNiftyでは圧倒的だ。私が次回このクラスに泊まるのなら便利さでシェラトン(来来:駅に近い5梅クラスはここが一番)、雰囲気でロイヤル(老爺:日航系なので高年齢層には最適)を選びたい。

なるほど・ザ・台湾   このサイトで台湾全土のホテル検索ができる。
台北の交通について
昨年6月からバイクのヘルメットとシートベルトについて日本と同様に罰金が(物価を考えるとかなり高額)課せられるようになった。このせいで、交通マナーは劇的に良くなった。今回も10回以上タクシーを利用したが、怖い思いをほとんどしなかった。
赤信号については、直進が禁止で右折はOKなのだと思っていたが、台中の知人に聞いたら、そんなことはない、みんな無視しているだけだと言っていた。そう言われてみると今回は右折車もちゃんと止まって待っていたような気もするが真相はいまいちわからない。
はっきり言えることは、バイクはほぼ100%信号無視して、右にも左にも曲がってくることである。ちなみに、台湾のバイクは法律で制限されていて180cc以上の物はない。ただし、どんなタイプのものもしっかり多人数乗れるシートがつけられている。また雨の多い気候だからライダーにカッパは必需品だが、スキーで使うようなポンチョ型のものしか見なかった。
仮に士林夜市(剣潭站)から台北火車站まで(約5km程度か)タクシーに乗ると、だいたい100NT$、捷運(MRT)だと30NT$、バスだと15NT$である。2人だとタクシーを選ぶし、バスの倍は高すぎるので捷運の不人気はしかたがないと思う。
チップについて
基本的に台湾にはチップの習慣はないし、サービス料が料金に含まれているのでチップ不要が建前ではある。ただし、ホテルの従業員や観光業者はこれで生活しているようなものなので、払うのがマナーだと思う。
現地ガイドは土産物屋に客を案内すると、店からのバックマージンを商品の形で受け取る。いずれも安物だが、彼らはこれを客に販売して利益を得る。今回、ガイドの宋さんは、この商品(1回目は刺繍、2回目は安物の烏龍茶)をその場で私に「プレゼント」して、私に個人的なチップを出す隙を与えずにさっさと帰っていった。店では何も買わなかったし、むろん宋さんからはなんの請求も販売もなかった。私が台湾語を独習していることを知って彼は本当に嬉しそうだったので、あれは「友人のしるし」だったと思いたい。
トイレについて
「トイレはどこですか?」は旅行するとき絶対に覚えなければいけないフレーズで、北京語では「厠所在那儿?」(ツァスオザイナァ?)台湾語では「便所在何位?」(ピエンスオティトゥウィ?)と言うのだが、この厠所も便所も汚い感じがするので使わないと、宋さんに教えてもらった。ではどういうのかと言えば「一號」(イーハオ)と言うのだとか。要するに「1号室」を意味しているのだった。
「紅寶石酒楼」で飲茶をした後、受付の小姐に「イーハオザイナァ?」と聞いてみたら、なんの疑問もなく「ああイーハオ?ザイナア(あそこよ)」と教えてくれた。台湾語の場合も(イーハオ)で問題ないそうだ。ちなみに台湾には香港のような、トイレ番の老人はいない。
雑な文章で失礼しました

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