雑踏の誘惑

北京の5.5日

11〜16,Aug.2000

北村 家康


4日

さて、今日は私としては今回の旅行のメインイベントともいうべき故宮(紫禁城)です。ただ、これを本気で見るということになればむろん何回も必要でしょう。また、展示物なども全部見ることはなかなか難しいと思います。宝物については台湾の故宮博物院に展示してあるものでほぼ見たということにして、紫禁城では建築物それ自体とそこに残っている空気のようなものを感じたいというのが私の希望です。

  まず、朝の出発時にホテルから歩いて10分くらいの秀水市場に寄ってベルトポーチを買います。この秀水市場が、台北などの夜市に一番近いもので、衣類の屋台が約100軒並んでいます。絹製品が多いことから「シルクマーケット」とも呼ばれるようです。八達嶺にはちょっと大き目のバッグを持っていったのですが、故宮ではそれほど荷物も必要ないのでガイドブックだけが入る程度のものでショルダーバッグにもなるタイプが欲しくなりました。しばらく見るうちによさそうなのがあったので、小姐に「這個多少銭?」と聞くと「56塊」(塊は元の口語)とのこと、普段なら「太貴了!」とかなんとか大げさに驚いてみせるところですが、今日は先の予定もあるのであまり楽しんでもいられません。「20」と言うと、案の定とても無理だというそぶり、じゃいいやと「多了多了」と本気で行こうとすると「25塊」と絶妙なタイミングで背中に声が飛んできます。じゃあ、と振り返って再度「20」と言うと「22塊」で話がまとまりました。財布を見ると1元札が一枚しかありません。「没有零銭」と言って21元(280円)で済ませました。


紫禁城と同じ縮尺の皇居


手に持った荷物を早速このポーチに移して、バスで建国門外から天安門に向かいます。ニュースなどでおなじみの天安門広場は五星紅旗を手に手に持って記念撮影するおのぼりさんでいっぱいです。私も例の25メートルプールほどもある毛沢東の肖像をバックに記念撮影してしまいました。


  

地下からおのぼりさんが湧いてくる      やはりここで一枚!


むろん中国からみれば日本からの観光客は完全におのぼりさんなのです。ですからこの広場に集まっている人もアラブ系ありロシア系あり東南アジア系あり、それに明らかなアメリカ人にドイツ人、むろん日本人もいてものすごい混雑です。端門で50元の入場券(珍宝館、鐘表館を含む)を買って入るわけですが、最初はこれらの観光客でまともに進めません。まるで朝の新宿駅のようです。皆手にミネラルウオーターのペットボトルを持っています。話はそれますが、この500ml入りのペットボトルは夏の北京生活の必需品です。これがないと冗談抜きに脱水症状を起こしかねません。実際、地元のおとっつあんもOLもみんな手にこれをもっていますし、スーパーではもうすこしスマートにお茶などを携帯するボトルをたくさん売っています。


右手のボトルがないと死にます


ここまでは相棒と一緒だったのですが、私は美術品などを見るときに他人に解説されることが好きでありません。今回の紫禁城もそれ自体が一種の美術品なので同様です。そこで1時にまたこの端門のところで待ち合わせることにして別れました。よくテレビなどで見る午門から太和門、太和殿(玉座があるので有名)、中和殿に至るメインストリートはそれこそ新宿のラッシュなみです。


紫禁城のメインストリート


私は意識的にこのルートを迂回して東の壁伝いに入っていきました。さすがに規模が大きいですから、ちょっと外れただけで喧騒が遠ざかり、一種の静寂を感じます。通行禁止になっている門の隙間からのぞくと、さらにその奥にひっそりと色々な建物が見えています。

メインストリートを避けつつ、実際の中心とも言うべき乾清宮の脇を抜け、一番奥の花園に達します。そこから西側に回って乾隆帝の住居だった養心殿の付近の細い通路をゆっくり歩きます。


通路から中庭を見る


場所によっては観光客がほとんど来ない場所もあって、夏の濃い陽射しの下で静かな時間が流れています。


喧騒の中にも静けさが


脇の小さな門をくぐって養心殿と三希堂に回ります。


養心殿の玉座、頭の上の玉が見える


三希堂では書物が積んであって、それを背にして、ときどきは寝そべりながら詩作をしたり王義之の書を鑑賞したのであろうと思われるスペースは、いいところ六畳くらいのもので、やはりあまり広い場所では人間はリラックスできないのだなあと感じました。

この付近の比較的小さい宮殿は、表示によると主に色々な后の住居だったようです。そういえば古びている装飾品や家具にもなんとなく女らしい雰囲気が出ています。文字通り「九重の天」のなかで纏足をして一生を過ごす代々の后達はなにを感じていたのでしょうか。そう思って見るからかもしれませんが、きれいな刺繍を施した寝椅子にはまだ哀しみの気配が漂っているように感じました。

裏側から乾清宮に入り、今度は東側に抜けます。ここにちょっとしたベンチがあったので腰をおろしたら、気持ちのいい風も抜けるし、観光客もあまりこないので、10分ばかりうたたねしてしまいました。紫禁城に流れている、よどんだ気配の時間が喧騒の中でも眠りを誘うのかもしれません。個人的にはこの空気の中での居眠りこそ紫禁城のハイライトでした。過去にこれほど贅沢な居眠りをしたことはありません。


意外に濃い緑


ちょっと元気が出たので、今度は東側のこまごました宮殿(展示館)付近を歩きました。と言っても展示品を見るつもりはたいしてありません。このあたりはまだ建物の修復がされてないところが多く、逆にそれがとてもいい感じです。また紫禁城にはあまり木が植えられているという印象がないのですが、実際にはこれらのこまごました建物を取り囲む塀際や中庭にはけっこう大きく育った木が配置してあります。こちらも代々の后や皇太后の住居で、それぞれ居心地のよさそうな規模にまとまっています。しかし、全体としては非常に巨大な迷路で、ここに住んでいた宦官達もこの内部の通路を正確に把握するにはずいぶん時間がかかったのではないかと思いました。

中庭を囲む小さな部屋が迷路のよう


  そうこうしているうちに12時半になりました。約束の1時に間に合うように午門方向に歩き始めました。もうあそこに太和門が見えているし、まあゆっくり行けばいいやと思いつつ歩いていると意外に時間がかかってしまいます。考えて見れば南北2kmなのですから、ゆっくり歩けば30分以上かかるのは当然なのですが、なにしろそこに見えているだけに納得できません。結局最後は小走りになって1時5分過ぎに外に出ました。

  さて、昼食の時間になりました。相棒は前回来た時故宮の中で食べた弁当をもう一度食べたいと主張したのですが、すでに出ていますし、そこらへんに並んでいる餐庁はどれも満員です。じゃあ西単にでも回るか、といいつつ歩いていると端門前の広場に植えられている松の木の下に弁当屋が出ています。人が買うのをしばらく注意して見ていると、どうやら10元でオカズが2品という構成らしいことがわかりました。早速並んで、10元払うとまずホカ弁のような発泡スチロールのように見えて実は紙製の器に炊いた白飯(インディカ米)を盛り付けてくれます。で、これをひっくり返せと身振りで言っています。そのようにして開くと、ほとんど蓋側に飯が移動して本体側にはこびりついた飯が残った状態になります。これをおじさんの前に持っていくと、ここに野菜の炒め物をまず入れ、次に肉炒めか肉丸子を選んで入れてくれるという按配です。これを立ち食い(ほとんどの人はしゃがみ食いですが)するわけですが、これがなかなかうまい!ちゃんと器に入れれば日本では楽に700円はとれる内容です。これが135円!これこそ民度の高さというものでしょう。それにしても、このしゃがみ食いで、私における屋台遍歴は一種のピークを迎えた、まあ平たく言うと来る所まで来たという気がしました。


ついに来る所まで来た?


暑いのでとりあえずタクシーでホテルに戻ります。頤和園、八達嶺、故宮ときて、筋肉痛がピークを迎えてしまいました。とりあえず風呂に入って汗を流し、ベッドで入念にストレッチをしました。ここで中国に来て初めて便意が来たのでそちらも済ませ、ついでにちょっとたまった衣類を洗濯してクーラーの中で少しうとうとしました。午後も相棒とは別行動です。3時頃になっていくらか人心地を取り戻したので着替えて出撃します。

  ぼちぼち帰りが近づいてきたのでお土産もちょっと見たいし、「雑踏の誘惑」で雑踏を見ないわけにはいきません。というわけで、まずはオーソドックスに王府井の新東安市場にタクシーで行きました。これは最近建てられた巨大ショッピングセンターです。地下には最近のこういうもののトレンドなのか、清代の北京の街並み(胡同や四合院)を模した一種のテーマパークのようなエリアがあって、老舗が軒を連ねて出店しています。福建の銘茶店の支店に入って台湾茶を少し値切って見ましたがあまり効果はありません。お茶は値切って買うものではないようです。


王府井大街より見た新東安市場


8階建ての中をいちおうざっと見て、向かいの北京市百貨大楼に入りました。ここは東京で言うと日本橋三越で、昔のNHK教育でも「百貨商店」といえばまずここの写真がでていました。ここの1階のお茶はなかなかよさそうな雰囲気です。種類も豊富だし、価格帯もいろいろ揃っているようです。一応自分用に武夷山巌茶の「肉桂」を少量、安渓の鉄観音をややいいのと普及品とで合計218元買いました。食品の価格をものさしにすると驚くほど高価です。やはり中国では「お茶に凝ると身上をつぶす」と言われるのもわかるような気がします。


老舗デパート北京市百貨大楼


表に出てぶらぶら歩いていると、北京飯店裏にいいあんばいの胡同が残っています。胡同(フートン)というのは「路地」くらいの意味で、メインストリートに対して直角に入っていく細い道をこう呼びます。そしてこの細い路地にはさらに両側に細い路地が伸びていて、その一つづつに中庭を囲んで4軒の家屋が建っているというこの構造のことを四合院というのです。これらの構造はすべてレンガで作られていますので、整然とした統一感があります。しかし、一旦胡同に入ってその左右に伸びる中庭を覗き込むと、そこにはそれぞれの生々しい生活や町工場があったりします。表通りを走っている自転車の小姐もたいていはこのような胡同の中に消えていきます。


西四あたりの胡同から四合院を見る


胡同を抜けて改装中の巨大な北京飯店新館の脇に出ます。やはりここもちょっと今回の格好では敷居が高いようです。長安街に3つ並んだ北京飯店の前をうろうろしていると、だんだん守衛がうさんくさそうな表情で見るようになってきたので、旧館の写真撮影はあきらめてタクシーで戻ることにします。どうやら、北京飯店で飲茶はないようですし、あったとしても今回は(次回があるかどうか)見送ることにしましょう。


北京飯店で飲茶は無理です


ホテルに帰って、また風呂に入ろうとするとバスルームの床全体が濡れています。どうやら天井から激しく水漏れした、というより今もすこしずつ漏っている気配があります。すぐにフロントに電話をかけて「Japanese staff please 」と日本人を呼びます。こういう込み入った話になると、やはり現地スタッフはいまいち信用できません。いわゆる9 to 5の時間帯にしか日本人スタッフはいないようなのですが、幸いまだ居たようで、すぐに手配してくれました。ちなみにこの京倫飯店ですがJALグループという割には日本人臭は非常に少ないホテルです。元は地元のホテルを買収したもので、実際、宿泊客を見てもJALパック以外にはほとんど日本人はいません。JALのツアーデスクなどもあるのですが、9時半くらいにならないと開かないので、朝、どこかに出かけようとするときにアドバイスを求めるには全く役に立ちません。

安価豪華安価と来て今日は豪華の番です。最初から最後の「豪華」は北京ダックと決めていました。北京ダックというくらいですから、北京で一番の北京ダックはすなわち世界で一番ということに・・・なります・・・よね。というわけで、北京ダックでは一番の有名店である王府井の「全衆徳」以外には考えられません。


これが「全衆徳」入口です


そうこうするうちに、バスルームの床や上の階の処理にスタッフがやってきて、なんとか使えるようにして帰っていきました。ただし、相棒の帰りが少し遅れ、やっと出撃の準備が整ったらすでに8時45分になってしまいました。しかたなく、今日も安価で行くことになりました。

さきほど来たばかりなのに、再度新東安市場にやってきました。ここの5階以上にはさまざまな食べ物屋が入っています。


吹き抜けに面して屋台街風な食堂が


屋台をたくさん集めて食券制の店にしたようなものもあって、さまざまな小吃を食べることができます。私はなんとなく麺の雰囲気で、相棒はできれば餃子、もしくはランチ風なものということで、あっちに行ったりこっちにいったりでなかなか決まりません。ま、しかしここはやはり担担麺を一度はクリアーしておかなければというので、担担麺とチャーハンで13元でした。相棒は3品くらいオカズがついたランチです。担担麺はほとんどがラー油でできていて人間が崩壊しそうな味でした。

通り道に初日に見た東安門夜市を見ましたが、さらに出店は少なく、この期間を見る限りでは、ここの夜市は廃止寸前という雰囲気でした。王府井を歩いていると、「カラオケ行きませんか」と女が声をかけながらずっとついてきます。このときに限らず、王府井では毎回外人と見て後をついてくる連中に困らされました。「what is KARAOKE?」「カラオケマッサージ」「what is massage?」「ニホン?ハングオ?」「I can't speak Japanese」と言っていると、さすがにからかっていることがわかったらしく憤然と去っていきました。あれはたぶんカラオケに連れ込んで、そのうちオニイサンが出てくるのだと思います。タクシーで建国門外に帰り、近くのスーパー「京客隆」でビールとヨーグルトを9元で買って帰りました。


「京客隆」入口付近


意外ですが北京はヨーグルトがけっこう名物なのです。内蒙古産の牛乳を元に作られていて、あまり甘くなくトローッとして飲みやすく、街頭のスタンドで飲むことができます。

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